道に迷った思い出、純粋に。
人生生きるとき迷ったことは多々あった。もっとも適切な選択かどうかわからない、そんなことはいずれ。
純粋に道に迷ったことの思い出を語ります。
50歳代なかば、割合気楽に過ごしていた。海外旅行も、韓国ソウルで足慣らし。憧れのヨーロッパ、イタリアへ行ったおり、ミラノで自由行動、駅で地下鉄の一日チケットを買って、ろくに研究もせず、徘徊した。
そこはミラノ、通常の生活、観光地でもない場所、いろいろ徘徊した挙句、自分がどこにいるのかわからなくなった。
次第に時間が経ち夕暮れ時になった。
もうそろそろ帰らんと、異国の地の夜は、正直怖い!
たまたまホテルがあった。よくある回転ドアの前にドアボーイがいた。
曰く、
「I lost way。Plese Taxy!」
なんとなくわかったのか、タクシーを呼んでくれた。
いかにもイタリアのタクシー、まるでムッソリ-二みたいなタクシー・ドライバー、ツンツル頭のスキンヘッド。
街中をぶっ飛ばし、信号で停まれば、浅黒い少年が窓を叩く、「金よこせ。」って感じ。運転手、見向きもしない。まっすぐホテルへ。
ホテル前で金を渡すと、領収書(チケット)をくれた。
このときの日本語、知ってか知らずか。
「降りろ。」
外国語には、敬語とか客に対する言葉遣いなんて発想なないってこのことかと思った。
そんなものだろう。無事、帰っただけいい。
次は、もう4年ぐらい前、四国遍路で88か所巡りをしていたとき、地図をたよりに歩いていた。どんどん険しくなって、ついにどん詰まり、石垣や細い道はあるが、これは登山、山登りだ。諦めて、もう一回と後ろを向いた。
そこでなんと、自転車を押した若い人、あり得ない。こういうしシュエーションは!話せば、同じように道を間違えて、同じところに辿り着いたら、私がいた。しかし、自転車とは。
前者の轍、足跡を見て、草を抜いて歩いた跡、住民いわく、「お爺さん、ひとり歩いていった。」、その住人とやらも、つれない。遍路道かお寺はあるか、それを教えてやるべきだろう。白い遍路装束来ているんだから。
道に迷った二人、私はレンタルのママチャリ、相方は8段変速の軽快車、山の中を自転車押しつつ、道路に出た。
あとは道なりに。やはり旅は道連れ、世は情け。
結果オーライで、無事、事なきを得たから言えるけど。
まぁ、いいか。
旅の思い出、なつかしい。いろいろなことがある。