人生の黄昏時、夕暮れ時は哀しそう
シニアも70歳になると、達観するか。
死ぬのは怖い、でもそのうち死ぬ。死ぬときは嫌でも死ぬ。
陽あたりのいい午後、町内を歩くと、同年代のシニアと会った。
グランドゴルフ大会で、公園へシニアは参集していると思えば、
そうでもないのもたくさんいる。
私の外にも、
自宅の周りで、なにかと手作業をやっている人、
私もその人も、なにかと顰蹙をかいながら、それなりに毎日呑気に
暮らしている。
コロナの外出自粛で、自宅に籠るかとおもいきや、
それではつまらんのが人情
久しぶりに会えば、皆さん方の動向、シニアだけに、明るい話は
ない。
若ければ、結婚した、子供がうまれた、どうしたこうしたと
シニアは、亡くなった、施設に入った、ヘルパーと歩いていた、
そんな話で、だんだん知り合いの動きが少なくなる。
頑迷固陋な私、似たようなシニアが増える。
いいお爺ちゃん、いいお婆ちゃん、難しい。ものすごく数が多い。
こどもより多い。
わが街明石は、赤ちゃんは多い、その分、他所は少なくなる。
オールジャパンが少子高齢化なの。
先々厳しさとつらさを感じる
そういうながら日々が過ぎていく。
壮年世代は早朝から仕事、奥様方はちょっと遅れてパートなどへ。
その後は静かな住宅地、日曜でも静か、静まり返っている。
夜中、独りで起きていると、もっと静かになる。
この静けさがこわい
いつかまったく人が失せる気がする。