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公私に慌ただしい月日が過ぎる。

 9月後半から、この10月最終週にかけて、なにやかやと慌ただしい日々だった。今日は、私自身の腰痛が区切りが着いた。
 脊柱管狭窄、MRI検査で診断を受けた。間違いなかろう。レントゲン、その後、CTでも、頸椎骨折といわれ、外科の他、整骨院まで行って、いろいろ気力と体力、そしてお金も遣った。よくわからないままに、2年が過ぎて、時々痛むというより、目覚めの時、腰が強く凝るという感じ、厭なのは、腿の辺りが引き吊るような筋肉の痛みが瞬間的にあったこと。たまたま四女が膝を痛め、嫁いだ次女がその次男が足が痛いといって医者に診せたのがきっかけで、四女の膝を診てもらった、例のMRIで、永年の膝の支障で皿、骨、筋肉とが複雑にからみあい、痛みが酷くなっていたようだ。
 引き籠もりが永く、心の病もあって運動しなかったのが原因、最初の外科医は、そこまでストレートには云わなかった、ただ運動しなさいと。しかし、しなかった。それが嵩じたのか。あまりに専門的で詳細は不明だ。
 ようは膝が痛んだとのこと。
 それに伴う弊害、摩擦がいろいろあった。
 入院や手術は、その回復に向けての第一歩。よくなるかどうかは、確実ではないけれども、他に策はない。
 私は、ついでに、そのクリニックの先生に診てもらった。
 二度の診察と三度の理学療法と電気療法で、結果、治療は終わった。
 障害認定は無理、あまりにも軽いとの所見。
 障害認定がでれば、階段をスロープにするのに行政から援助がでる。
 私のは無理、四女の症状でも手術後は治るから無理だろう、そこまで障害は残らないとのこと。
 9月後半から医療に入り浸り。市の特定健診その後動機付け支援としての保健指導、定期的な治療である歯科、なんかかんかお医者様のお世話になってしまった。治療は、2割負担だし、四女は障害者なので、あまりかからない。しかし、精神的な負担と手術への不安が本人のみならず家族にもある。
 ただ長女も膝の手術をやったので、ある程度、見通しは効く。
 人生いろいろ。
 無事、これを乗り切って、この2024年を終えたいものだ。

 私の残った課題は、メタボ予備群脱出、体重は変わらないけど、身長が縮んだ。身長に比例するらしい。それでそれに合わせた体重にしないと、メタボってなる。
 71㎏を67㎏にしないと。
 高齢者、ある人は、7㎏落としたと。いまのところ、私は病気は顕在化していない。腰が凝っているのを懸念したのは、膵臓癌かなにか悪い病気ではないかと医師に相談した。全然、関係なかった。
 しかし、いつか死ぬんだ。どうしよう、どうしようもない。
 なんせお大師様だって亡くなっているのだから。
 阿弥陀様が来たら、どうしよう。「ん」って。

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