障害者を子に持って、先々明るくないけど、がんばる。自分の子だから。
いまパリで、パラリンピックが行われている。確かに様々な障害を持った人がいろいろなスポーツで世界的レベルを維持していることは素晴らしい。
障害者を子に持つ人間の一人として、複雑な思いはある。
我が子は、精神障害者、パラリンピックには、精神障害者はその障害者の範疇に入らない。理由は、わからないでもない。でも変。
障害というハンディゆえに、様々な場面で差別や区別され、身体そして精神のうえで、厭な思いという程度でないものを日々ずっと受けている。
テレビやネット、新聞などでパラリンピックが報道されると、目を背け、チャンネルを変えている。
障害者を持つ家族は、たいへんだ。
社会福祉が充実しているだけに、ありがたいと思う。まだまだ充実したとは云えないというだろう。私は、敢えて福祉関係者の活動に心から感謝している。いったい何人の方のお世話になっただろう。医療関係、学校関係はては警察や消防まで、行政がらみでも市役所、県庁いろいろとお世話になっている。
それでも、いろいろな不都合な事案が起きている。
今日も、作業所へ通う子、目が見えないと言って、まったく知らない97歳の通行人に助けを求め、作業所まで連れて行ってもらったという。作業所から電話があり、連れ戻しと今後の相談を行った。
通所も無理だろう。別の作業所を探すことになった。
本人の故意の仕業(しわざ)でない。
私も、もう高齢者、あと数年すれば後期高齢者だ。いまのような支援ができなくなる日も遠くない。
頼るは、公的な福祉機関だけだ。親身に協力してもらえる。
なぜこうなったのかと自分の人生を振り返って考えることがある。
どうにもならんけど。