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年寄りのnote、これから、どう考え、書き、そして続けていくか。
noteは、ひとつの手段である、それ自体、noteを書き続けることが目的ではない。書き続けることによって得られる多くのものが得られる。
文章力
考える力
継続する力
すぐに思い浮かべるのは、私には、これくらいである。
もっと若い時、小学高高学年で、この方向性が得られていたならば、もっと自分のやりたいことを認識した人生になった。ちょっと愧じる、自己責任である。
いいわけすれば、もっと社会が、学校が、親がなどと言っておれば、昨今のご時勢、受け入れられるかもしれない、現実には、なんにもならない、ただのご時勢である。最後は、自己責任しかない。甘くない。
年寄りは、若い人に比べ、人生の先がない。老少不定、人間の寿命はわからない、年寄りがずっと生き、若い人、こどもが先に死ぬかもしれない。
いつの世でも、どんな状況でも確実なことはない。
プロローグは、これぐらい。
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年寄り、年金生活者は、自由な時間が多い、半面、体力的その他物理的な面でハンディがある、ストレスがないだけに緊急性や切迫感が薄い場合がある。もう、やめた!とか、どっちでもいいや、どうせもうすぐ死ぬんだ!なんて気持ちが出るかもしれない。
私は、そうは考えない。
例えば、ちょっと前までのNHKの朝ドラ、牧野富太郎博士、94歳まで存命、夜遅くというか永く様々に勉強されていた。なにを今更というまい、好きなのだ、人生を最後まで愉しむ気持ちの表れ。死んだら、もう二度と好きなことはできない、いまできるうちにやろうという思い、尊敬する。
年取るまでのないが間の経験や知識をもとに、あれこれと思いを書き綴る、日々の出来事を自分の感想を書き連ねる、日記のようなもの、対象や方法は、いろいろあるだろう。
これからもずっと続けたい。
死ぬまで。
ある日突然、ブレーキとアクセル、踏み待ちがえて、事故死しないように。あくまでも他人には危害を加えないことが大前提。
まだまだいろいろなことにチャレンジする。
できなくなったときが私のお仕舞い。
今日も、それなりにがんばった、明日もがんばる!
おやすみなさい。
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