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自死って自殺のこと

 日本人って、自殺を究極のこととして捉えている。それはそうだ。
他人や社会に大きな影響を与え、しかも本来の道筋を変える可能性が
ある。キリスト教は、自殺を固く禁じているそうだ、知らないが。
 このたびの前西播磨県民局長やプロ野球優勝パレードの担当課長、もう一人が死亡したことで、メディアでは自死と報道している。変な感じ、誤解を招く。
 組織で活動している以上、たった一人ですべてを決め、ほか誰も知らないなんてあり得ない。まずいことだったら、関係者全員自死(自殺)しなければならなくなる。
 たまたま上の方針でやったこと、結果オーライで失敗もある。
大谷も三振するし、大の里も負ける。それが人生だ。
 自殺ばっかりとりあげて、その真実や事実をとりあげないのは、片手落ち。そういう方向に誰かが持って行っている、故意に。
 私は感性が低いのか、自殺しようとは思わない。
 殺してくれとも思わない。可能な限り抵抗する。なんなら殺す、それは防衛、緊急避難である。
 自殺といえば、弘法大師の入定、一室に籠もり,食事を絶つ。それは、高度に修行した高僧故のなせる技、なぜ自殺するのかも不明、これからの勉強課題である。だからといって死なない。
 死ねばお仕舞い。
 阿弥陀様がお迎えに来られようと、行きたくもない、ここがいい。
 やはり一種の精神錯乱状態と見るべきで、他の人間があれこれ考えることではない。だのに、自殺となれば、大事、生命を賭して、真実を証すなんてことまで主張する。それで社会が通るのだから,面白い。
 なにかある,作為的なものが。
 黒い真っ黒な奴が影で蠢いている、一人じゃないかもしれない、悪い奴。
 命を粗末するにする人、勝手にすればいい。一度しかない人生、大事に。

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