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"老い”を生きる(17)過去を顧みる

 過去は大事か、過ぎ去って、どうにもならんことだし、今そして、これからの参考にするには必要不可欠ではある。結局、ケーズバイケースの自己判断、自己責任で過去を評価する。あのとき、ああだった、こうもするべきか、なんて暇つぶしにはいい。こだわってはいけない。自分は、そういう人間なんだ。もともと人間なんて似たようなものだ。

 高齢者・老人は、過去が多い、長いので、今が閑ということもあり、過去を振り返り勝ち。「昔は、」そのものが、若い人には、ありえない、だって過去がない。年寄りは、生きている以上は、未来はある。過去も、未来もない、ただ今、この瞬間だけが存在する。時間なんて存在しない。これからの勉強課題だ。こんな構造を創ったのを神という、素晴らしい、凄い、意志ある存在か、ただの力関係、物理・数学の世界か、それにしても、なんでそうなったのと疑問が湧く。せめて人類の叡知で、少しでも理解に努めたい。

 昨日、NHJK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。何度もテレビ化された場面、信長が光秀に料理が悪いと叱責する、それが普通でない。原作者や関係者の考え方だろう。現実は、もっと様々な要因、結構シンプルかもしらない。私なら、こんな上司は危ない、いつまでも持たん、信長も光秀も秀吉も勝家その他いろんな部下たち、いつ振り向いて殺されたり、潰されたりsるかもしれないと。それだけ信長は英雄なのだ。アレキサンダーやハンニバル、ナポレオンその他、始皇帝とか強烈な個性は、大概怖い存在だ。

 そうでないと偉業はできない。何が偉業か問題だけど。

 フィクションの世界、結構、面白そう。光秀は、残る資料が少ないだけに、面白く創作する余地が大きい。あっても、結構、面白おかしく伝えられる。徳川家康、ドラマは別として、ほんとうに狸だったと思う。

 渋沢栄一、楽しみになってきた。私は、ドラマはあまり見ない。大河ドラマ、西郷隆盛、金栗四三は毎週愉しみにしていた。今年は、コロナ休業で、駆け足早足だったのが残念。最期の方で、光秀が短気・感情的になったのがいいような悪いような。長谷川博巳もいい役者になった。鈴木京香とできているらしいけど、大事にしてあげてね。ちょっと年が上だけに。

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