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組織と人生、いまになって想えば、つまらんな
高齢者ともなって、来し方を振り返ってみると、その時その時一生懸命がんばっていたこと、どうにもならなかったこと、どうでもいいことなど、多くのことが思い出されてくる。思い出したくなくても、出てくる。
良いこと悪いこと、嬉しかったこと悲しかったこと、得意絶頂あるい失意悄然、人生いろいろ。思い出しても、どうにもならない。過去を振り返るな、未来を想えという。しかし、もう未来も少ない。
でも生きていかなくては、少しでもボケないよう、認知症にならず、日々愉しくいきたいものだ。
少なくとも私は想う。
現役時代、日々の糧を求めるため、嫌な辛い仕事をしてきた。それはそれで、よしとしよう。仕事に付随して、面白いこと愉しいことがあった。家族に十分は生活、今の境遇があるのも、仕事をしてきた成果である。
孫がいる。二人、彼らが彼らで日々、元気に過ごしているのも、私が頑張ったことも大きい。少なくとも、四分の一の貢献はある。
そして、それがずっと続いてほしい。
組織内での昇進、報酬額と地位、それが評価の結果であろう。いまとなっては、何の影響もない。トップであろうと、末端であろうと関係なくなった。場合によっては、相互に無縁、存在すらなかった状態であろうか。
ただ風が吹いているだけ。サラリーマンは、地位を失って、なんにもなくなる。みな、それを実感している、失う前から。
人間、生きるため、哲学的思想的だけじゃなく、日々の糧を得る方法とう面においても、生きるためには、どういった方法がいいのか、もっと若い時から考えておけばよかったと思う。
結果的には、大きな組織で生きるのが、一番ベター、一人で生きるのは大変なことだ。
よく考えてみたい。自分の人生を振り返って、あすこで別の選択をすれば、もっと面白かったと思う場面も多々あった。
その瞬間は不幸不運でも、結果的にはいいことかもしれない。
神のみぞ知る。