人間関係、私は不得意、でもそれが私
隠居生活、もう3年が過ぎた。家族と自分が普通の暮らしをするための職業生活、終わってアルバイトや地域活動。もうやめた。他人様とのお付き合いは、基本的には絶った。親類、知人友人、これというほど親しくはない、クールな言い方をすると、あとは死ぬだけ、実も蓋もない。
私は、それでいい。基本的には、88歳が限度。周囲を見ても、80歳半ばで、身体的にお疲れになってくる。散歩するのも気合が入っている、入れねば、自宅で悠々自適はいいが、植物状態に近くになる、それが嫌なのだ、理解できる。
嫌なこと、辛いこと、たくさんあった職業生活。気の合わない人を上司に持つこと度々、いじめにあう日々。包丁で刺すようなことはしない、できない、そんな奴の地を浴びたり、そんな奴のために懲役刑で刑務所で厳しい生活なんて絶対嫌だという信念、ただ根性がないのか。それだけの値打ちはない。
若い時には、元気いっぱい、仕事にも思い切り精出せる。50歳過ぎには、なんか力が抜けてくる。もう上へ行く意味が薄れてくる。それだから、なおのこと、ヨイショがつまらなくなる。ゴルフ、麻雀、接待酒あほらしくなってくる。そんなことじゃいけんのだけど。熱意がなくなった。それから十年、完全リタイアまで、マイペースで過ごした。
韓国旅行から始めて、ヨーロッパ3回、北京と海外旅行、普通は、定年退職後、ゆっくりなんて思うが、それは事実上ないと確信していた。年金暮らしや預貯金頼みでは、リラックスはできない。仕事で海外行くなら気合も入っている。観光なのだ。現役のうちに、2回目のヨーロッパは妻も連れて行った。新婚時代、ルーブル美術館へ行きたいという意向を踏まえてのものだった。
人間関係、小中学校は、自然と仲良しというか、2,3人、連れがいた。友人というのか、しかし、境遇が変わると、疎遠になった。高校になると、相性で結びつく。これも社会へ出たり、遠くへ行くと、疎遠になる。
エッセンシャルな公務員になると、職業柄か、民間の職業についている友人・知人となんか溝ができた。親しい友人が、スナックのマスターなんてやっていると、グッと距離ができてしまった。なぜだろう。
組織では、友人というより同僚、これはライバル。最終的には、信頼できない。仕事上の信頼関係は、ほんとうの信頼ではない。特に、転居を伴う高域異動にあっては、これが最期というパターン、まして少しの時間で、人間が変わる、利害関係が大きいから。
なんやかんやで、最終的には、妻と家族だけ。それだからこそ。大事にしなくてはいけない。大事にしよう。金の問題ではない。まして孫ともなれば、できること、持っているものは、全部やちゃえ。