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note投稿100日連続、継続へ習慣化
ひとつの目標達成!ひとつの区切りに過ぎない、でも嬉しい。
そんなことして、どうする、なんになる。そうは思う。
人生そんなものだ。
やっているときは、わからない。ゲームの最中なんだから。
仏教で、「生老病死」という。
これを考えると、生まれた時、幼いとき、意識ははっきり持っていても、大人たちの社会では、助けがないと、生きてはいけない。
必死でもがいて、なんとか軌道に乗せた。
勉強も運動も、すべてさせられた、一生懸命したが、人並にも追いつかないことも多かった。成果が上がったこともあった。
大学は行っても、すぐ中退、そして引きこもり、なんとか脱出した。故郷では、その不名誉は抜けきらず、故郷を出た。公務員になり、そこそこの報酬も得、仕事にも慣れ、昇進の道も開けた。結婚し、家庭も持った。
30代後半、思わぬ病気で入院、半面、冷静に人生を考えることができた。でも、そのまま50歳になるまで、仕事一途の生活をした。
こどもの病気や人事上の不満から、なげた。ドロップアウト、辞めたわけではない、今の日本、そんなに簡単に収入は維持できない、給料に見合った仕事だけした。ある意味、手を抜いた。仕事上の付き合い酒は最低限、ゴルフはやめた、麻雀や賭け事はしない、そういうことを徹底した。
定年後、行くつもりだった海外旅行も、早々に行った、韓国1回、欧州3回、いけるうちに行った。転勤も自宅から近いところだけにしてもらった。
当然、出世はできない。かまわない、全国転々は、ご遠慮申し上げた。
後悔はないか、ない。
病気の効用、自分の病気、娘の病気、全然、縁のない土地での自宅建築、その結果が、別の娘が今の土地で配偶者と出会い、孫も二人。それなりの日々が、いま私にはある。
あとは死あるのみ。特に病気もなく、人並の高血圧、滅多に医者に行かない、歯医者は半年に一回ぐらい。
個人的趣味で、文学、哲学、思想、宗教に興味と関心がある。死は、いろいろ考える。先人たちの教え、死ぬときは死ぬ、最近は、ピンピンコロリで死にたい。祖父が76歳で死んだとき、商売人だったが、集金に行って、帰ってきて寝込んだ、それから1か月ほどで亡くなった。
そんな感じで。
過ぎ去りし人生を振り返り、あと何年生きることができるか考えつつ、健康で元気に暮らしたいものだ。