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"老い”を生きる(22) こころの翳り

 引き籠りや自宅逼塞、なにか本来の在り方と違う自分をうとましく思う心持ち。静かに考えれば、他人の事を気にすることはない、自分が思うほど、他人は自分の事を考えていない、むしろ存在すら気にしていない。日本人は、とかく世間体、とりあえず、男は朝、外へ出て、家では家事など手伝わず、ごろごろしているだけで、まるでライオンの雄みたいというのが一般的な考え方。

 いまの私、確かにいわゆる通常の仕事ぶりはない、年金生活、40年公務員と民間で働いた給料のうちから積み立てした年金資金でなに不自由なく暮らしている。これは物欲を抑えているためで、全然無理していない。日本最初の銅銭である和同開珎に「我ただ足るを知る」、なんと思い入れの強い言葉であるか。公務員は、基本、接待費や自分で自由に使える予算などない、すべてかなり上の承認が要る。そういう生活をしてきた。しらないが、民間には接待・交際費があって、管理職や偉い人は、好きに飲み食いできて、領収書を出して認めてもらえれば、美味しい料理も酒も会社持ちもあるやに聞く。羨ましいとは思わない。給料を増やしてもらったらと言いたい、他人の事なので、どうでもいいけど。組織のシステムの違い、公務員もそうではないところもあるらしい。裏金とか、いろいろ。人間の哀しさ、麻雀やゴルフの握りで、そんなので面白いのか、無いと面白くないらしい。

 こころの翳り、もう世間体は気にしない。昼間堂々と外を歩く。大の男が白昼、ぶらぶら。天下御免の遊び人、もう終わったからすきなようにするではなくて、本来、こうしたかった。でも生活のため、あくせく働かなければならなかった、しかし、職業生活もいい経験ではあった。いやな、悪いこと、いろいろあった。人間のとことんの根性の悪さ、たくさん見てきた。自分も、また他人におなじような思いをさせてきたことだろう。

 もう済んだこと。どうでもいいこと。いまは、ただの素浪人。生きたいように、したいように生きる。もう他人の価値判断では生きない。すべて自己責任の自己判断。

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