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9月6日(水)「醗酵食品・田子の塩鰹と田子節」

今日の豊田はほぼ雨。
最低気温は25℃、最高気温は久々の30℃割れの28℃。
熱帯低気圧の影響で天気は崩れ気味。湿度は高いけれども、お陰で?気温は上がらず。
でも、まだまだ秋の過ごし易い天気、と言うワケには行きませんね。暑くはありませんでしたが。さて、

昨日は「未利用魚・ガンゾウビラメ」について書きましたが、今日は先週訪れた西伊豆の田子地区で作られている「醗酵食品・田子塩鰹田子節」についてお届けしたいと思います(冒頭写真はコチラから拝借致しました)。

田子。
この近辺では昔からカツオ漁が盛んであったようで、701年の大宝律令に基づき西伊豆沖や伊豆諸島等で獲り加工された堅魚(カツオを堅く干したモノ)を733年に奈良の朝廷への「調」(租庸調の一つで、一種の税金)として送られていたと言う木簡平城京跡から見付かっているのだそうです。どうやらコレが鰹節の原型である塩鰹(塩かつお・潮鰹・潮かつお、とも)の更にモトとなったモノのようです。のでしょう。

その塩鰹。
要は、獲れたカツオの内臓を取り出し、丸ごと塩に漬け込み、乾燥させて作られた塩蔵品なワケですが、コレがこの地区で盛んに作られ庶民の間で良く食べられるようになったのは江戸時代になってからなのだそうです。
具体的な作り方としては、漁師さん達が西伊豆沖や伊豆諸島で戻りガツオを獲り、ソレを船上で内臓を抜き塩漬けに。田子へ帰港後、海水を煮立てた濃い塩水を入れた木樽に約1ヶ月漬け込み、時折塩分濃度をチェックしつつ、大体12月頃に西伊豆に吹き付ける西風で風乾して出来上がり、と言う具合なのだそう。ソレを「しょうがつお」(塩鰹≒正月魚)と呼び、正月には航海安全・豊漁豊作・子孫繁栄を祈念したお供え物として神棚に飾り、お役目終了後には陽の当たらない軒先に吊るして3月頃迄は新巻鮭のように保存食として食べていたのだそうです。
確かに、この塩鰹はカツオと濃い塩だけで作られており、相当に塩っ辛い食べ物ですが、旨味も十分。鮒鮓くさや等ホドの強烈な香りは無いので、塩っ辛さにさえ慣れれば(と言うか、薄める食べ方をすれば)、十分に美味しく戴ける食べ物だと思います。
焼いた切り身をお茶漬けや汁モノにして食べれば割と食べ易くて旨味も堪能出来ますし(鰹出汁の原点とも言えるモノですし)、酢やレモンに漬けて酒のアテにしたり、醤油や塩の代わりの調味料として豆腐や野菜に振り掛けたり、揚げ物の付け塩代わりにしたりと、色々な食べ方があるようです。
コレはオモシロい醗酵食品ですよね。

お次は、田子節
以前お伝えした「醗酵食品・鰹節」の時にもチラリと触れましたが、本格的で伝統的な鰹節としては和歌山は紀州の「熊野節」・鹿児島の「薩摩節」・高知の「土佐節」・千葉の「房州節」、そして伊豆の「田子節」が五大メジャーと言えるようです。
元はと言えば、現在の鰹節はそもそもが室町時代にその原型が出来ていたとも言われていますが、江戸時代に入ってから角谷甚太郎と言う紀州漁師が燻乾法(焙乾)により熊野節を作り始め(1674年)、ソレをその一族が土佐に伝え、更に土佐から薩摩(鹿児島)や安房(千葉)、伊豆(田子)に伝播されていった(安房や田子に伝えたのは土佐の与一と言われてます)、と言うコトらしいです。鰹節としての発展については、この「焙燻」と「カビ付け」によるカチンカチンにした保存方法の発明、と言うのがある意味ターニングポイントになった、と言えそうです。
そんな中での田子節ですが、土佐節に更に改良を加え、カビ付け回数を2~3回増やして節の中から脂肪分や水分を抜く製法を編み出し、本枯れ節を作っているのだそうです。
更に田子節では、もっと美味しい鰹節を産み出すべく「手火山式燻乾式」を編み出し、土佐・薩摩と並ぶ三大名産品と呼ばれるようにもなったのだとか。
 
斯かる如く、田子節は先人たちの苦労と創意工夫によって作り上げられていて、往時には田子地区だけで40軒以上の鰹節製造業者がいたのですが、カツオ船の老朽化やら漁法の変化、船の大型などもあって漁師が減少、今となってはこの伝統製法による鰹節を作るのは4軒しか残っていないのだとか。
 
そのウチの2軒が今回訪問した「カネサ鰹節商店」と「田子丸」さん。
彼らは、伝統的製法を守り、後世にも届けられる良質な塩鰹・田子節・酒盗などの各種商品(ソレが想像以上に多彩・多品目に亘る品揃えでビックリ)を製造・販売されているし、ネットでも売られているようなので、ご興味ある方は是非ご購入を検討下さりませ。

と言うコトで本日もコレまで。
明日は「醗酵飲料(焼酎)・黒木本店の各種焼酎」について書いて行きたいと思います。


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