なぜあなたの話は「説得力がない」と言われるのか。DaiGo型、紳助型コミュニケーションについて
どうも、西村マサヤです。
よく「コミュニケーション」に関する相談をされます。
一番多い相談が「自分の話は”説得力がない”とよく言われてしまいます」というもの。
そう言われてみるとたしかに、説得力ってなんなんだろう...。
まず「説得力がある」「ない」を分けるのは、「根拠の有無」に尽きると思います。
「〜だと思います。なぜなら〜」と主張と根拠が明確であること、あるいは「〜と思います。」「なんで?」「〜だからです。」と即座に根拠を答えられること。
ここまでがステップ 1。
次に大事なのが「根拠の納得感」。
「なぜなら」があればなんでもいいというわけではありません。当然「間違った根拠」ではダメですし、「人が納得できるもの」になっていないと根拠とは言えません。要は「強い根拠」が必要。
で、おそらくここで多くの人がつまづくように思います。
「強い根拠ってなんだろう?」
これはたしかに難しい。
僕なりに考えてみると...、ある2人の人物が思い浮かびました。
1人がDaiGo、そしてもう1人が島田紳助です。
彼らにはそれぞれ「根拠の仕立て方」に非常に特徴があるので、順に解説していきたいと思います。
DaiGo型コミュニケーション
DaiGoさんといえば「◯◯という論文にはこう書いていて〜」という口癖が有名です。これです。
要は権威性のあるエビデンスやファクトを探し、それを言う。そういうことです。
「エビデンスやファクト」とは、ビジネスシーンであれば、公的機関やコンサルファームの調査レポートなどが該当するでしょう。他にも簡易なアンケートやn1のヒアリングも立派なファクトです。
「自分が伝えたいこと(=主張)」を裏付ける「ファクト」を用意し、添える。
たったこれだけのことなんですが、若手ビジネスパーソンはもちろん、ミドル〜シニアでも当たり前に出来る人は3割もいない印象です。
ここまでは、あらゆるビジネスコミュニケーションの書籍に書いてあることなので目新しさはないとは思います。また、このDaiGo型のコミュニケーションをマスターすることは「ビジネスパーソンとしての基本」であり「最低限の基準」なので、差別化にはなりません。
大事なのは、次に紹介する「紳助型」のコミュニケーションをマスターすることです。
紳助型コミュニケーション
こちらはDaiGo型とは打って変わって、エビデンスもファクトも話しません。
紳助型のコミュニケーションは「相手の脳内に景色を浮かばせる」ことをゴールとします。ではどうすれば「景色が浮かぶような」説得力あるコミュニケーションができるのか。
その秘訣は、約15年前、当時のNSC生徒向けに本人が語っています。(『紳竜の研究』というDVDに収録されています)
それは彼が仲良くしているシンガーの話。
そのシンガーはとても歌がうまくて、聞いた人の中には涙する人もいるほど。特に芸能人は、90%が泣いてしまうそうです。
その理由を彼は「売れる人は”心で記憶できる”」と語っています。
そして「心で記憶した」人たちは、そのシンガーの話をするときに、「知り合いにすごい歌がうまい子がいる」なんて言い方はしません。「なんでかわからんのよ、なんでかわからんけど... この前めちゃくちゃ泣いてしまうことがあったのよ!歌を聞いただけで!ほんとなぜかわからんけど... その子の歌聞くと、涙が止まらなくなるのよ!」と聞き手の脳内に「歌を聞いて涙した情景」が浮かんでしまうように話すのです。
これは嘘でも、盛ってるのでもなく、「感情が動き、心で記憶した」人だからこそ話せるコミュニケーションなのです。
同じシーンをDaiGo型で話すとこうなります。
「この前、すごく感動的な歌を歌う子に会いました。その子の音域はmid1EからhiCと、とても幅広かったです。これはウィーン国立音楽大学のエヴァ・ブラホヴァ教授の研究によると、人間が一番感動しやすい音域と言われてます。なので僕らは感動したんだと思います。」
内容はテキトーですが、これでは読み手の脳内に「景色を浮かばせる」ことは難しいでしょう。(脳に浮かぶのはエヴァ教授の顔くらい... )。
ちなみにこれはネタばらしすると、「DaiGo型」「紳助型」というのは、単純に「左脳型」「右脳型」を言い換えただけです。
ビジネスシーンにおいては左脳型のコミュニケーションの重要性ばかりが語られます。
もちろんそれらは絶対的に大事であり、「コミュニケーションの基本形」としては押さえるべき大前提ですが、「ここぞ!という時」や「お互いの正義・論理が平行線な時」は、実は右脳に訴えかけるコミュニケーションが威力を発揮することは、みなさんもなんとなく実感があると思います。
なお、紳助は「心で記憶できるのは才能であり、感情の起伏が激しいこと」が条件だと語っています。...なんですが、僕は必ずしも才能でもないんじゃないかな〜と思っており、後天的に習得可能だと考えています。
その方法は「集中して日々過ごすこと」、言い換えると「ぼーっと生きないこと」です。
「心で記憶できない人」つまり「感情の起伏が少ない人」は、総じてぼーっと生きている傾向にあります。
例えば、僕と同じ場所で、同じ体験を経験しても、後日話してみると何も感じてなかったりする。一方で僕は「あれすごかったよね!!まさかあんなことなるとは思わなかったよね!」と興奮して話してたりする。でもぼーっと生きてる人は「あーそう言われればそうだったかも」とやはり記憶に残ってないんです。
最後に、なぜ僕がコミュニケーションをDaiGo型と紳助型で使い分けようと思うに至ったのかを話します。
僕は新卒から5年間、かなり「ロジカル文化」が強い会社で働いてきました。学生時代、文系でパッパラパーだった僕に「ロジカルシンキング」や「ロジカルコミュニケーション」などできるはずもなく、入社後は徹底的に鍛えられました。さすがに3年くらい働くと、人並みにロジカルな資料やコミュニケーションはできるようになってきたのですが、そこで次の壁にぶつかります。
「ロジカル」VS「ロジカル」は行き着くところ、「重箱の隅のつつきあい」になってしまうのです。
冒頭に述べたように、論理には根拠が不可欠です。意見の分かれる双方が、「異なる根拠」を用意した結果、お互いの主張が噛み合わない。そういう場面によく触れるようになりました。
例えば「あるサービスを継続投資するか、撤退するか」という議論。
継続したい側は「Aという数字が伸びているのでまだポテンシャルがある。投資すべき」と主張します。一方撤退派は「Bという数字が落ちているのでもう限界だ。撤退すべき」と主張します。まぁ議論というのはそういうものなのですが、何が言いたいかと言うと、「ロジカルだからって主張が通るわけではないよ」ということです。(以前の自分も含め、ロジカルシンキングに過度に憧れを持つ人はここを勘違いしてる人が多い)「ロジカル = 正しい」ではない、ということですね。
例えばこの議論。僕が継続派だったらこんな話をします。
「リリース時から使い続けてくれているユーザーさんで◯◯さんという人がいます。この方はサービスを使うまでは、プライベートでいろいろと悩んでいたそうですが、このサービスと出会って以降、毎日が楽しくなり、今では人生観が大きく変わったそうです。僕らはもっと多くの◯◯さんを生み出す使命があると思います。直近はたしかに苦しいが、ここで倒れてしまっては未来の◯◯さんを救えない。V字回復の戦略と撤退条件、期限は明確にするので、それまで続けさせてほしい」と。
逆に僕が撤退派なら、「急成長するポテンシャルがあるにも関わらず、十分に投資予算が回せてもらえてない別部署の社員の苦悩」の話をめちゃくちゃ具体的にしますね(笑)
まぁこういったものは使い分け、TPOが一番大事ですので、いろいろ試してみてください。
根拠の話はこちらのnoteもぜひ読んでみてください。