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#6 島の民謡をしている子どもたちに思うこと

こんにちは、はたのです!

「その土地で生まれ育った子たちが、その土地で遠い昔から受け継がれている音楽を奏でている風景」
教室をはじめて当初から思っていることですが、なんて贅沢な風景をいつも間近で見させてもらっているのだろうかと日々思っています。

私は静岡育ちの沖永良部島とは縁もゆかりもない人間でしたが、「芸は身を助ける」の言葉通り、沖永良部民謡をやっていることでたくさん助けられました。

しかし全てが良い経験ばかりだったわけではありません。
時には島にルーツがないことで心無い言葉をかけられて、悔し泣きした経験もあります。

もし「今の自分が島で生まれ育っていたら」と思うことも未だにたまにあります。
(それはそれで別の気苦労もありそうですが笑)

その点、いま教えてる子どもたちはみんな沖永良部にルーツがある子たちです。

もちろんルーツがない大人の方も多数いらっしゃいますが、みんな好きで楽しく続けて下さってます。
そういった様々なルーツを持った方が集まった、いわゆる多様なメンバーが揃って教室で交流するのが子どもたちにとって良い環境だと感じています。

<ここから少し小難しい話しになります>

しかしながら私が自分ごととして本質を語れる、そして表現できる土地のものは、生まれ育ちルーツのある静岡に関わることしかありません。
それと同じように沖永良部で生まれ育った子が本質を語れる、表現できる土地の文化は沖永良部のものでしかないと思っています。

決してそのツールは民謡だけに限られることではありませんが、民謡には消えゆくその土地の言葉(方言)、歴史や文化、先人たちの想いや心の記憶が詰まっています。
沖永良部で生まれ育った子たちが沖永良部民謡を歌い継ぐことが、どれだけ尊くこの先も自分のアイデンティティとして誇れることなのか。

今は分からなくても子どもたちがこの先も沖永良部民謡を続けるのであれば、一度故郷を離れたタイミングで気づくのかなと思います。
いつか子どもたちが島を離れても、付かず離れずバックアップできる先生でありたいと思います。

インパクトのある外の文化や価値観ではなく、それぞれの土地で土地のものを継承してきた人たちが改めて評価される優しい世界線であってほしいと思います。
バブル崩壊から震災やコロナを経て、一部の地域ではすでにそうなりつつあるように感じますが。

また自分の中では土地の文化・芸能の伝承者たる人間は、その土地で生まれ育った人であるという考えは変わらずあります。
こういった話題になると「いや、そんなことはない!」と言った声もありますが、自分の中でその芯はブレないですし、外の人間(移住者)として関わる以上そこの姿勢がブレたら絶対に駄目な部分だと思っています。

文化や芸能は長く続けて、内や外の様々な人たちと関わることで、その土地が大事にしてきた本質の部分が見えてくるかと思います。
ようやくここ2,3年で自分も外の人間ではありますが、沖永良部や奄美群島が文化芸能を通して大事にしてきた本質の入り口が見えてきた気がしています。

しかし極論を言ってしまえば、沖永良部で生まれ育っていない自分は本質の中心にはなかなか近づけない(近づいてはいけない)部分とも感じています。

自分の教えた子どもたちの1人でも自分なりの本質の答えに辿り着いたり、沖永良部島を誇れる人間になってほしいなと思います。
自分はいつかその風景を木陰から笑顔で見ているおせっかい爺さんになるのが夢です(笑)

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