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個展「西荻窪をおさんぽして描く」のすべて(2020年12月8日〜2021年1月17日・於座高円寺)2022年1月追記版

個展を開いたのは確か3年ぶりくらい。個展を開くのは苦手で、特にイラストレーションを前にどんな顔をして立っていれば良いのか分からないのもつらいし(これは安西水丸先生もおっしゃっていましたが全く同感)、しかしながら来てくださった人からは「いなかったね」と言われるのも申し訳ないし。
今回は広々としていて絵を展示するためだけのギャラリーではないのであらかじめ「不在が前提」でやりやすかったです。
私は作品の中に全ての想いと感性を込めてしまうと、あとは他人事のような気になってしまいあまり自分が露出しようという気にはなれず、イラストレーターが自分の描いた絵の前で派手な着物や奇抜な服装をしているような個展は異世界の出来事のように感じます。
簡単に言えば「恥ずかしい」のです。ただ、今回の展示は西荻案内所の奥秋さんの勧めにより座高円寺さんで開催させて頂き、本当にありがたかったです。ふとした成り行きで2020年8月頃から西荻窪を沢山描いてみて、年末までに色々素敵なことがありました。確かにコロナでイラストレーション以外の学校の仕事など様々大変な影響があって苦しいこともありましたが、イラストレーションを描いていたおかげで嬉しいことがありました。まず第一には、西荻窪界隈をはじめとする沢山の方に私の絵を見て頂くことができました。西荻窪の本屋さんbrewbooksさんでイラストレーションスタジオを開かせて頂き、加えて本棚の小さな画廊「おさんぽ画廊」を開廊。モデル・女優で西荻窪の喫茶店の絵も描かれたりした菊地亜希子さんとお仕事が出来たり(ONKUL誌にて対談)、今も様々な方からお声かけを頂けるような状況です。
今回は特にテーマを定めてはいなかったのですが、一応縛られない程度の裏テーマ的に「子供の頃の西荻窪、つまり昭和の西荻窪」を込めてみたつもりではあります。適当ながら一応番号をふりました。

①【ポモドーロ】
おそらく西荻窪初のイタリア料理店ではないかと思います。かつて記事に書いたこともありまが、
30点の一つに選ぶのは当然という馴染み深いお店です。ここのボロネーズ、つまりスパゲティミートソースのことですが、細麺にソースを絡めるタイプの今風のものです。昭和当時からこのスタイルかは失念しましたが、ソースはワインが効いた濃厚で深みがある変わらない味かと思います。とにかく記憶に残る美味しいものの一つです。当時はスパゲッティは一般的に腰のない柔らかで太めの麺にソースをかけたものが普通でした。アルデンテ、という言葉を初めて私が知ったのは漫画アニメ「ミスター味っ子」でイタリアンの丸井シェフというキャラクターのセリフからです。最近は駅近にお洒落なビストロやトラットリアが増えていますが、それらにはない唯一無二の昭和の職人的イタリア料理が味わえます。マスターも高齢で後継者もおられない様子ですので、この機会に是非。

②【大ケヤキ】
大ケヤキといえば大きな小屋のある景色でした。いわば「西荻窪のブロッコリー」。ここを隔てて西荻北の桃三小出身の私としては、何が起きても不思議ではない井荻小や桃四小生達の支配する他民族エリア(当時の感覚です)に足を踏み込むという緊張感に包まれたものでした。「トトロの木」と言う方もいますが(私も一時期はそう呼んだりしましたが)、トトロが流行ったのなどそのずっとずっと後の話ですよ。当時の昭和の子供達にとってはまあ「異世界への目印」のようなもっと壮大なものでした。

③【びあん香】
インスタ映え的な今風の純喫茶ブームではない時代から貫かれてきた独自の世界。マダム独特の世界観。阿佐ヶ谷「gion」に通ずるものがあります。駅から近く、あまり情緒があるとは言えない通りに突如出現する「西荻窪の独り迷い森」はこちらです。
このお店を出たらもしかしたら違う街になっているのではというような、俗世間から離脱できる空気感。これこそが純喫茶の醍醐味。まずは「びあん香ケーキ」を。

④【坂本屋】
美味いカツ丼の条件

●揚げたてサクサク感が残っている
●甘みがあるしまったカエシ
●よくカエシが染みた薄切り玉ねぎ
●はらはらとやや硬めのご飯
●解きすぎず、やや白身があり、固まっていない半生の卵

これは私が求めている好きなカツ丼要素なのですが、あくまで私の狭い知見では今のところ全てを備えているのはこの坂本屋だけです。イラストレーションの師である安西水丸先生が懇意だった料理評論家の山本益博氏が「揚げたてのカツを使うよう」アドバイスをしたという逸話もなんだか嬉しいです。しかし偉大なり山本益博氏。料理評論家とはかくあるべき。
行列が苦手なのでしばらく行っていませんが、実はここの焼肉ラーメンや焼きそば、カツカレーも昭和食堂の模範形でした。

⑤【とらや本店】
こちらが本店だったとは。てっきり向かいのお肉屋さんの方が本店かと思っていましたよ。西荻窪贔屓と言わないで欲しいのですが、ここのコロッケとメンチより美味い惣菜屋を知らないのです。同じくらいなら辛うじてあったか、いやここが一番好き。先日総大将のマスターがお爺さんになっていて健在だったのが本当に嬉しかったです。通学路だったので毎日見かけたマスターは、アナゴさんとマスオさんを足して2で割ったような感じでした。彼曰く美味しさの秘訣は玉ねぎをたっぷりよく炒めることだそうです。

⑥「Fève フェーブ」
フェーブとはそら豆のことらしい。
店名がそら豆とは、一体どのような意味があるのかな、と思います。絵を描く場合には、特段取材はせずに会話から得た知識や、一言も言葉を交わさず描くことも多い。フェーブの夫妻はざっくばらんだが、初めての人から見たら少々素っ気ない印象を受けるかも知れません。
しかし料理から伝わってくるフランス地元流への情熱からは彼らの本質を感じ取らなければならないと思うのです。全ての料理が未知の感覚、つまり西荻窪の地元で育った私には極めて斬新な調理法による作品群が出迎えてくれる非日常の世界を楽しむお店。非日常でありつつも、日常的に通うことも苦ではない、何とも言えない空気感が好きです。これがパリの空気感なのだろうか。

⑦「ピンクの象」
私にとってはピンクの象は当たり前の景色の一つでしたが、どちらかというと南口の隣町の風景という、守備範囲からやや離れた印象かもしれません。西荻窪の狭い中ではあれど、二代目引退の頃のピンク象への住民の様々なアクションは横目で見ながら「ピンクの象を甘やかすなよ」と思っていたのはここだけの話。
物事は流動的で、古いものはやがて去り、新しいものはいつしか定着すればいいという少々サバサバしている西荻観の持ち主かもしれません。
飲食店でも、二代目に引き継がれてより好きになったお店もあれば、逆に全く別物の落胆してしまうようなものもあります。新しいお店でも3回通ったらもう常連のように親しくなることもしばしばだし、10年以上通って全く交流が無い場合もあります。話は外れましたがピンクの象は三代目で頑張っているみたいです。

⑧「喜田屋」
はじめはラーメン屋さんで、店先でおはぎ、お団子、いなり寿司などを売っていて、ラーメン屋さんなのに団子屋としても秀逸ぶりを誇っていた名店です。
私の記憶には塩バタコーンラーメンをひたすらに愛していたことばかりが残っています。お祭りの子供神輿ではここのおにぎりととらやのコロッケで腹ごしらえさせてくれ、たまりや(田丸屋)の駄菓子詰め合わせがご褒美で配られた記憶があります。体調を崩されたか親父さん(故人)がラーメン屋を閉めて和菓子屋に変わった時は本当に残念でしたが、息子さんご夫妻が長らく活躍されており、その上今もおばあちゃんが健在で頑張っているのは嬉しいです。体力的にいなり寿司などはやらなくなってしまいましたが、長くあり続けて欲しいです。

⑨「西荻ポルカ」
かつては西荻北3丁目で「花男」というBARを営まれていました。今は南口マクドナルドの先を線路沿いに荻窪方面へ進み右側にひっそりとあります。店内は様々な雑貨が散りばめられ音楽はポルカというわけではなく邦楽や洋楽が市川マスターの気分で無秩序にかけられ、壁には映画や音楽のポスターが様々貼られ、マスターはお客さんに合わせたテーマの映画や世相についてとりとめのない雑談に花を咲かせている。こんな風にゆっくりとした時を過ごすことの贅沢さ。マスター、客、雑然とした店内の不思議な統一感は心地よく、酒に酔い、人に酔い、場に酔う。特に珍しいお酒もおつまみも無い、ただ普通の素晴らしさがある名BARです。

特集記事は以下よりどうぞ

⑩「善福寺川公園」
下の池と上の池があり、子供の頃は下の池で川エビやクチボソを網やプラスチックの仕掛けで捕って家で飼っていました。たまにダボハゼが入っていてこれも水槽にいれたら、翌朝は修羅場です。クチボソは半分骨、川エビは外に飛び出して干物になっていました。
ザリガニをよっちゃんイカを紐にくくりつけたもので釣り上げるのも楽しかったです。川から下の池に繋がる水路の横にトンネルがあって、みんなで入り込んで遊んだりもしました。今では許されないですね。当時はよくある光景で特に咎められることもありませんでした。子供達の中にはサバイバルに長けている子が必ずいて、我が隊にも毎週父親と山に行き、南口の「いそっぷ」へカブトムシやライギョ、ヘビを売って小遣いを稼いでいた強者がいたので彼に従っていればまず安心でした。自然遊びに大人も寛容な時代でしたね。
今はもっぱら上の池の周りで息子と遊んだり、ペダルボートに乗ります。

⑪「村田商會」
以前は「POT」という純喫茶で、毎日お店の前を通って通学していました。小学1年生の頃中国人の男の子が転校してきて、以来遊んだり、喧嘩をする悪友のような宿敵のような微妙な関係でした。私は日本人ですから彼よりは優勢なわけでして、お店の前で彼の帽子を取って意地悪をしていたら、POTのおじさんから「こら!」と叱られたりしていました。こちらにも言い分もあるのですが、ここでは伏せておくとして、それから20年も経って、小学4年生頃から転校してしまった彼と道でばったり!身長は当時と変わらない比率で176センチの私が見上げるような大男となっていました。今彼は日本人となり、みんなが知っているようなものを開発したりした超一流企業から引っ張りダコのある意味伝説の人です。そういえば彼は来日1か月くらいで毎日私と日本語で口論していましたからね。
話は逸れてしまいましたが、村田商會さんはこのイラストレーションを購入、店内展示をして下さっています。是非見に行って下さい。

⑫「小高商店」
西荻窪の美味しいお店達を支えている八百屋さん。駅を正面に両脇にサレサイドサカエとサレカマネを従え、左の小道には夢飯、右手には萬福飯店と地理的にも北口の要を守備する要的存在です。
野菜は安くて質は良いし、料理の仕方などを気さくに主婦に伝授する姿も見受けられます。

⑬「今野書店」
50周年記念小冊子「コンノコ」には歌人枡野浩一さんとのコンビ「枡目組」として 4コマ漫画を描かせていただきました。こけし屋で行われたイベント出演者は(五十音順)、いしかわじゅんさん、角田光代さん、北尾トロさん、東海林さだおさん、末井昭さん、平松洋子さん、枡野浩一さん、山田詠美さん。幸運にも豪華な顔ぶれに私も加えて頂くことが出来ました。小学生の頃よく立ち読みをしていたのは私だけだったので、地元代表のようなものですが。

⑭「よね田」
開店当初米田氏は焼き場に立たれて情熱に溢れた会話に花を咲かせたり、無作法な客をたしなめたり、店員さんに語気を荒げることもあり、そういう「よね田劇場」を毎日のように見に通いました。いやいや、それ以上に何を食べても美味しいし、酒もケチケチせず食べ盛りの2.30代の私でも2000円あれば充分腹が満たされ酔えました。
メニューも試行錯誤の途上であり、コスト的に割に合わないようなものもあったかもしれません。カウンターで米田氏と語った記憶は様々ですが、お母さまがポテサラを手作りされているとか(現在は違います)、以前はイタリアンで修業されたとか、仕入れについてや、これから焼肉屋(「焼肉よね田」のこと)を開きたいという話も。米田氏は私の一つ上の学年で、私は私立に通っていたため同校ではありませんが同じ地区出身で、共通の地元仲間も多いです。
時を経て、店員さん達も変わり私は馴染みでもなくなりましたが、それはそれでいいことです。いつまでも変わらず米田氏が焼き場に立たれることも素晴らしいですが、次のステージに皆が進むことも大切です。ふらりとどこかで顔を合わせた時にこそ、よき日の思い出を語る価値があると私は思います。
「今は変わってしまった」とか「最近米田氏は見かけない」とか考える必要はありません。一杯飲みながら、思い出に浸りましょうよ。

⑮「夢飯」
もはや西荻窪の伝説。私の母も妻も行き合う方々特に女性はみんな好きな海南チキンライス。フライドチキンが好みでしたが歳を重ねて蒸し鶏の方が良くなって来た今日この頃。
併設されていたギャラリー「夢卵」では様々展示させていただきお世話になりました。個人的には当時同居してデザイン事務所を営んでいた今は芸人の「本田しずまる」(当時は本田まさゆき)がここでよく個展を行いました。

個展「あの頃ぼくのすべてだったもの」(概要https://ameblo.jp/yobodaba/entry-11540474307.html )

という個展が強く印象に残っていますが、私も「ラブレター」(概要 https://ameblo.jp/yobodaba/entry-11505538355.html )

というものを行い、その後ギャラリー営業は無くなりました。青春の最後の恋に踏ん切りをつけたのは、この場所でした。

⑯「西荻窪の有名人」
まだまだ沢山おられるのですが、今回はこれで個人的見解として。また、あえてこの絵には入れず柳小路に描き入れたブルース刑事こと又野誠治さんもいます。背の曲がった老人については「西荻窪の怪老人」というエピソードを書きましたが、未だ健在という話も聞いています。
萩原流行さんは、以前喫茶店で撮ったプロフィール写真に偶然少し映り込まれていました。見たい方は西荻窪の居酒屋ででもお声かけ下さい。イギリス人老紳士は、奇聞屋で閑古鳥のライブをやっていた頃に来てくださいました。お話ししたことはありません。

⑰「ニヒル牛」
初めは何のことやら何の店かと思っていました。今でこそポピュラーなレンタルボックスのはしりです。作家たちはそう高くない金額の家賃を払うだけで一国一城の主です。箱を支配する神と言ってもいいです。
売れようと売れまいと気にもされず、気ままにひたすら物を並べるのも自由です。私はここでイラストレーションを今は無くなった「ノア画材のおじさんが作る小さな額」に入れて売り、会ったこともない方々が何度も購入して下さいました。今から申し込むと2年待ちとか。申し込んでおいて損は無いと思いますよ。

⑱「ぷあん」
タイのおばちゃんが作る本物のタイ家庭料理。登場依頼絶大な人気を誇ります。特に女子をお連れすると喜ばれる確率が高いです。
甘辛い中にコクがある、官能的な味わいなんです。
私は豚バラカレーのゲーン・ハンレイを好んで注文します。豚バラがトロトロなのがたまりません。また、土日限定のタイ風カレーラーメンのカオソイは今のところぷあん式が一番好きです。2階には個室があり、古い建物を改装したものなのですが、素敵ですよ。

⑲「山ちゃん」
夜7時から深夜までなので夜食に通いました。味噌、塩、醤油全てが美味しいというのは珍しいです。全て個性があり、味噌には柔らかく煮込まれた豚コマ、塩と醤油にはチャーシューを乗せたいです。ここのチャーシューは厚切りで脂が沢山のっていて、よく煮込まれていて柔らかです。トッピングは刻み玉ねぎやほうれん草、バターなんかもあります。スープは家系ラーメンのように味、脂、麺を調整してくれるようになりました。これも含め二代目から融通が効くようになり、特に先代の麺の柔らかさが気になっていたのでありがたかったです。だいたい二代目というのは難しいことが多いですが、山ちゃんは継承が大成功していると思います。
もうかれこれ20年前、大学生の頃近所にある幼馴染の部屋で光栄の歴史TVゲームに興じた頃、食べ盛りでこれが夜中の一つの楽しみだったんですよ。

⑳「それいゆ」
これまですれ違ってきた方々を記憶に基づいて描いてみました。三分の一くらいはかなり適当ですが。20年分です。
今回の個展ではこれまで何度も描いて描き尽くした感もありましたがこのようにチャレンジしてみました。こういう演劇や映画のポスターがあると面白いですね。
いつも言うのですが、お店にいる「鼻につく人」は、意外と強く記憶に残っているのですよね。それで仕事などで沢山の人を描いていて行き詰まったときに役に立つ。嫌いだと思っていたのに描いてみると愛嬌があって、次からはよく描くようになったり、キャラが立つんです。おかげさまで皆大好きになりました。一言も話したことがないのに、自分の世界の中にはいつもいる。その人がそれいゆにいたら、いちいち見てしまい、服装の傾向が変わっていたりして面白いです。「嫌いな人は絵に描いてみるといいよ」ということです。
話は変わりますが妻とは三年付き合ってから一年半別れ、再交際後2年半くらいで結婚しましたが、はじめに別れてから復縁を申し込んだのもここそれいゆで、イケメン喫茶と言われる中でも歴代イケメンNo.1と言っていい「西荻の天草四郎」とは私が勝手に呼ぶ、飲み友でもあったバンドマンのアキラに手筈をしてテーブルを空けておいてもらったのでした。ちなみにそれいゆは席予約無しなので、50年の歴史において私が最初で最後の席予約者かもしれません。アキラは今はそれいゆにはいません。ちなみに今店長のような存在のマサカズさんと私は同学年、マサカズさんが働き始めたちょうど同時期に通い始めたので20年来の同期のようなものです。

記事「大それいゆ展」もよろしくお願いいたします。

㉑「物豆奇」
山田マスターは先代から引き継いだ二代目ではありますが、先代マスターは1年程度、その歴史のほとんどは山田マスターが営んでいます。また、南口にかつてあったフレンチが食べられるライブハウス「奇聞屋」では、私が20代の頃から5年間程毎月イベント企画を行わせて頂きました。お客さんが誰もいないこともあり、当時同居して一緒にデザイン事務所もどきの活動をしていた本田まさゆき(現本田しずまる)が1人詩の朗読をして、山田店長(最近山田マスターの弟さんであったことを知る)が聞いてくださったりした思い出があります。
物豆奇は、建物の風情は西荻窪一と言って良い一棟建ての純喫茶で、建物そのものが文化財として保護したいような代物です。扉の取っ手やおそらく看板や格子など鉄製部分は全てかつて西荻窪で有名だった鉄工房「スタジオ・ベガ」製だと思います。当時の西荻窪では鉄といえばベガさんが素晴らしく、今でもいたるところにその痕跡が見受けられます。物はいいだけに金額は高価であったそうです。西荻窪の鍛冶屋は残念ながら今はありません。まだまだ需要はあるはずでしたが。*後日今も山梨と西荻窪で活動していると知る

㉒「どんぐり舎」
生まれてから18歳までこの目と鼻の先に住んでいました。通学路でもあり、いつもコーヒー豆を煎る匂いが立ち込めていました。
看板の黒いキャラクター画は店内にも何作か展示されており、お店の方とお話しをしたこともないのであれが何なのだかは未だ分かりません。無秩序なレイアウトで家具、雑貨が置かれていますが、漫画本なども含めて全てが一体化していると感じます。
コーヒーカップがそれぞれ焼き物で、どれも素晴らしい風合いな上、コーヒーが最高に美味しいです。私はここの「酸味ブレンド」が好きです。

㉓「萬福飯店」
3歳くらいから萬福の中華を食べています。なぜなら萬福の親父さん一家とマンションが同じだったから。萬福飯店は親父さんが25歳の時に開店、今は多分40数年になります。サッポロラーメンブームで、隣のコタンは行列で、萬福は出前をやり何とか凌いでいたそうです。私はここで油淋鶏も、おこげ料理の春雷も、水餃子も幼い頃から親しむことが出来て、美食ブームの頃TV番組の「料理の鉄人」で様々説明され世に広まった、陳健一氏が腕を振るっていた料理の数々をだいたい経験済みでした。
絵に描いたように、どの料理も秀逸ですが、私は親父さん曰く「中華街から一番美味いのを盗んできた」五目焼きそばと鳥そばが一番の好物です。それから豚と卵の炒め物のムースーロウ、水餃子、蒸し豚のウンパイロウなんかも絶品だと思います。
小学生の頃は萬福飯店の裏手に民家やマンションがあって、そこをよじ登っては様々探検していましたが、萬福の親父さんだけは、叱ったりたしなめたりすることなくタバコを一服しながら「よう!」とだけ言うので大好きでした。親父さん西荻窪の至宝といっても過言ではなく、これまで色々な高級店やホテルの中華を食べましたが、私にとっては萬福が一番ダントツの存在です。

*萬福飯店のおやじさんは2021年4月に永眠されました。記事は以下になります。

㉔「こけし屋」
私が云々するのはおこがましいような最古の老舗と言って過言ではないでしょう。格式あるフランス料理、純喫茶、庶民的な別館カフェレストラン、洋菓子店と時代に合わせて進化しますが、その味は脈々と受け継がれ一周も二周も周り今や新しい昭和の洋食です。
子供の頃朝市で、目の前でシェフにサーブされるチーズ・フォンデュや、ミートソーススパゲッティ、揚げたての鮭のクリームコロッケ、ビーフシチューコロッケ、焼き立てのスペアリブを前に胸をときめかせたものです。当時からいる給仕のおじさんは、たまに今でも「それいゆ」で一息ついておられていて、未だご健在なことに驚きと共に感動が込み上げます。
そうしていつか見た写真にあった私の幼い頃の誕生日のケーキはこけし屋の犬の乗ったチョコレート・バタークリームケーキであることを思い出し、40年もの時を経て息子の4歳のバースデーケーキとしたのでした。

㉕「酒房高井」
今川で本田まさゆき(現本田しずまる)と「デザインコンビ」として生活していた頃を一番よく思い出すのがこのお店です。幾度通ったか分からないのですが、マスターから「いい顔しているなあ」と声をかけて頂いたことが今でも嬉しい思い出です。
ここには私と本田の師匠であるイラストレーターの安西水丸先生が愛飲されていた「〆張鶴」が置いてあって、いつか先生をお連れするつもりでいましたが、2014年に他界。残念でしたが酒の達人を自信をもってお招きできる日本で有数の酒場であると同時に私が西荻窪で第一におすすめする酒場の一つです。ここで教えて頂いた銘酒は飛露喜、雪の茅舎、さらには田酒を「たざけ」ではなく「でんしゅ」と読むことも教わりました。おつまみの美味さも比類なく、生クリームとチーズがふんだんに使われたグラタンのようなリンゴのキッシュや、京都の棒鱈に匹敵するような名人級の豚バラじゃが、突き出しのシラスと青菜の和物、極め付けはイカキモ焼です。これに対抗するならば新宿三丁目の「鼎」、桜木町野毛の「小半」の名前を出さなければならない。そんな西荻窪の誇りです。

特集記事は以下よりどうぞ

㉖「欧風料理華」
マスターの息子さんが私が剣道を指導していた中学と合同チームを組んだことが縁となり、以来常連となりはや10年。
マスターは機内食ファーストクラス、バーテンダー、パン職人、ドイツ料理店、ドイツの鳥料理店、荻窪にあったカサブランカというスペイン料理店の料理長などを包丁一本で渡り歩き、40代後半で現在のお店を開店、常連であった奥様と結ばれました。奥さまの料理の腕は名人のマスターをして「私よりずっとセンスがある」といわしめ、デザートやフランス料理を担当されています。また、ほとんどの料理はマスターに引けを取らない腕前だそうです。マスターは私に様々な料理修行譚を聞かせてくださり、料理のレシピは全て書き留めてあるが、塩加減だけは正確には測ることが出来ないのだということで、たった三粒の塩を落とすか否かで鍋の中身が左右されるから怖くて落とせないというお話があり、いたく感動したことがあります。

㉗どんぐり公園(井荻公園)
昔の子供はタフでした。このジャンボ滑り台の傾斜を平気で駆け回り、蹴落としたり引きずり下ろしたり、砂を撒いて滑らせたりして遊んだのですから。特にやんちゃでもない普通の子供でも西荻窪にいた皆全員経験あるかと思いますよ。
また、今のように茂みに高い柵も無くて、さながらジャングルのような林に入り込んで遊んだり、大ケヤキの小屋のところまで林が続いていてかなり壮大な冒険フィールドとなっていました。高校生がエアガンで銃撃戦をしたり、当時荒れていた荻窪中の中学生たちが集団で乱闘をして血に染まったTシャツで引き上げてくる様子を見たりしていました。当時荻窪中で荒れていたらしい坂上忍さんもあの中にいたのかもしれないですよ。

㉘「柳小路」
西荻窪南口柳小路は、いわば西荻版ゴールデン街。昭和の頃は場末のスナック街でとても近づけたものではありませんでした。高校生くらいの頃、髭面のえらくかっこいいお兄さんが自転車で颯爽と買い物をしていて、それがドラマ「太陽にほえろ」のブルース刑事こと又野誠治さんでした。今でも引き継がれているAサインというBARを営まれ、そこで若くしてその生涯を閉じられたことが一つの事件でした。この絵にはそのオマージュが込められています。
また、赤い鼻のマスターの作る沖縄料理も好きでしたし、タルタルーガの弥生さんにも大変お世話になりました。皆さん今は天に召され柳小路にはいらっしゃらないのですが、西荻窪の方々には親しまれた名物店主たちでした。

㉙「戎」
【"超個人的"西荻窪「戎」の北口店と南口店の使い分け方】南口店は悪友・飲兵衛と無頼酒。メガハイボール→焼酎をガンガン。煮込み・揚げ物で。北口店は一人酒・仕事仲間・家族などとゆっくり酒。ビール・サワー→日本酒。イワシコロッケや野菜料理・刺身コースを堪能。皆さんはどうでしょうかね。

戎の良いところは普通の大衆酒場の比ではないくらい沢山の売りがあるところです。おつまみでいえばモツ煮込みは牛ホルモンで脂が乗り、柔らかくて塩っからくなく絶妙。イワシフライはタルタルソースが素晴らしいし、焼き鳥も小ぶりでジューシー。小皿料理も和洋中様々な種類がわんさかある。こういうお店では色々食べたいので、安くて少なめでバリエーション豊かなのが嬉しいんです。また、酒が安い割にちゃんとうまい、濃い。1リットルのハイボールはやや薄めだけれど、それでいい。次の酒があるから。ワインや日本酒も一番安いものでも充分悪くないです。
西荻窪の名物店主、酒房高井の高井さんやイルカに乗った少年のマスターのコンビは晴れた暖かい日の風物詩でさえあります。

以下は「戎」特集記事です。

㉚「ラヒ・パンジャービーキッチン」
2014年に他界されたイラストレーター安西水丸師が、作家の角田光代さんらと日本酒を飲みながらカレーを食べる「水丸カレー部」を開催されていたパキスタンカレーの名店。ちなみに合わせる酒はもっぱら〆張鶴と八海山。足りなくなりラヒさんが買いに走ったこともあるとか。
ラヒさんのカレーは暖かみがある「パキスタンのお母さんの味」そのものだそうで、水丸師も好んでいたマトンカレーは他を寄せ付けない圧倒的な美味さです。マトンスープであるマトンパヤーは、個人的に戎の煮込み、欧風料理華のアイスバインと並び西荻窪の三大煮込み料理に数えられます。
他には豆のカレー、海老カレー、マトンビリヤニが大好きですが、全く辛くないフムスのようなハリームは絶品です。これは豆と牛肉をクリーム状になるまで煮込んだものです。ラヒさんのお誘いでパキスタンの映画「ソングオブラホール」の企画展示作品を数名のイラストレーターと出品したことがあり、店内にはこれまでに買い上げて頂いた私のイラストレーションが複数点展示されています。

【おわりに】
今回の個展は西荻窪における「卒業制作」のようなものでした。何を卒業するわけではありませんが、個展とは振り返りだと思っていて、これまで西荻窪で経験したことを沢山振り返ることが出来ました。同時にこれからの西荻窪との関わりの始まりでもあります。これからも西荻窪で沢山の出会いと、あるいは西荻窪からどこまでも遠くまで冒険したいという期待が膨らんでいます。

大変な折にご来場頂いた皆様には、感謝いたします。

2021年.3月3日 西荻窪「物豆奇」にて

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