【岡山県立図書館ロゴ募集の件】ロゴの意匠自体に価値があると思うのはそろそろやめませんか?
私が、ロゴの値段はいくらだと思うかというと『ほぼ0円』です。
この事柄は、マイナスに感じる人もいると思いますが、私はデザイナーにとって大変プラスになり得ると考えています。
この記事は下記の事柄に対して、個人的な意見を述べたものです。
https://ksb.co.jp/newsweb/index/14224
要約すると、大変有名な図書館がロゴの募集に際して5000円を提示した。それに対してプロのデザイナーなどから安いのでは、文化を軽んじているのではという意見が出た。という感じ
コンテンツは、
・デザインはアートではない。価値を説明することまでがデザイン
・ロゴの価値と背景にあるデザイン教育
・デザインはみんなできる、デザインはみんなのもの
・クライアント側の課題
・ポジティブな学びは何か?
デザインはアートではない。価値を説明することまでがデザイン
このような議論は、定期的に何度もあり、その度に発注者側、デザイナー側の前進なく、議論が時間ととも忘れられていきます。
そもそもこの議論の発端は、デザイナー側が『ロゴの意匠自体に大きな価値があると考えすぎていること』があると思います。
デザインはアートではありません。そのため、そのロゴを導入してどれくらいNPO(非営利)を含む商業活動などにポジティブな影響がで得るか?
そこが議論になります。
しかし、今回のような議論は、いつもプロが作るのにいくらかかるから、作るのが大変だからと、デザイナー側の工数の話をしているように思います。
それはクライアントには全く関係ないです。
時間がないなら受けなければいいし、それ以上の価値があるのであれば、商業活動らしく、その効果を説明してはどうかと思います。
いくら私がデザイナー側の人間でも、年を食って現場をいくつも見てくると、動いた分問答無用でくれというのは、厳しいのではないか?と考えます。
ブランディングで、数千万〜億取るような外国の有名ブランドブティックですら、毎回100案作ったり、粘土をこねたり、絵の具を壁に投げたりして、いかにクライアントのために時間をかけているか表現しますが、正直、何人のクライアントがその行動の意味を理解できるでしょうか?
その時間はデザイナーが自分の責任で割いているわけですから、客に全額請求する前に、本当に50ではダメなのか、もっと早くできなかったのか?は先に自分自身に問うべきベーシックなことだと思います。
デザインとはそもそも説明・情報伝達をすることだと考えています。
今回は、工数がかかるからという理由で値段の話があると思います。要因の一つとしては、理解できます。
しかし、買って何のリターンがあるかが抜けています。
ロゴが1億でも2億儲かれば、客は買います。
効果の補償や、説明は永遠の課題であり、難しいです。
しかし、工数のみの話をしてしまうとそれこそデザイナー以外でも言えることになってしまいます。
その難しい課題に挑み続ける必要性が出てきてしまうのです
デザインの基礎学に目を向ければ、
タイポグラフィは、可読性をあげるため、
色彩学も色盲の方にもなるべく情報を伝え、人自体の感情を捉えるため、
デッサンも画面内の情報整理・構築するため、
ピクトグラムも、より小さいスペースで、ノンバーバルで伝えるため、
全ては滑らかな説明・情報伝達のためにあるように思われます。
つまり、デザイン自体がそういうものなのかもしれません。
一方、
有名な図書館が文化的資産に投資しないのは、損害であるという考えは理解できます。
しかし本当に解決したいのであれば、図書館に転職する手もあります。
ビジネスの業界では、年収が下がってでも、情熱をもって、身を切って、一緒に時間をかけて大成功に導く話はよく耳にすることもあります。
また、海外で一業種一社を守るのは、クライアントと本当に心理的な融合ができるか?この点が、外部から革新の手伝いをするために、重要であるためです。
ロゴの価値と背景にあるデザイン教育
私がロゴを作るときは0円〜XXX万円ですが、『なんとなく作りたいから作る』、『戦略・ビジネスごと作り、数字をデリバーする』これによってここまで変化します。
つまりロゴ自体の価値は、特定のものはないです。
JAGDA(グラフィックデザイン協会)などによって、ロゴの推奨価格は決まっているかもしれません。
事務所によってもこれ以下は受けないというのはあると思います。
しかし、それら全てデザイナーの言い分です。
クライアントからすれば、どれにすれば、払った分以上儲かるのか?
その説明がないものはどれも一緒に見えてします。デザインの勉強をしていないのです。
だからまずは安く始めたい。それが、それほどおかしいことだとは思いません。
つまり、どのようなシーンでも確実に言えるロゴの意匠自体の価値は、『ほぼ0に近い』のです。
なぜこのような差が、デザイナーとクライアントの間に発生しているのかというのは、デザイン教育が根底に一要因としてあると思います。
現在のデザイン教育はクラフトマンシップに寄り過ぎており、デザイナーがいいと思うもの、美しいものを作れば即ち高値であることをイメージさせます。
しかし、デザインは商業ですので、プレゼンテーションや、ロゴを導入することで、どれくらいそのお店などが、上向くかまではほとんど考えられている必要があります。
しかし、デザイン制作の技術に寄る教育が、デザインをアートのように崇高なものにして、商業的説明のない作品ですら高価であると誤認させていると思います。
デザインはみんなできる、デザインはみんなのもの
ロゴは誰でも作れます。デザインもデザイナー以外がすることもできます。
歌もそうだと思います。誰でも歌っていいです。
うまいかどうかは、問題ではありません。
でもここでの議題は、本当にプロが作ったものが適しているのか?です。
ボイストレーニングを受けていない素人が人の心をプロ以上に打つことあり得ます。
歌はプロになれば、ただ上手いだけでなく、曲、ルックス、ダンス、ライブでのパフォーマンスなどの合わせ技で、民意、売上を得るものだとおもいます。
デザインに関しても、googleの初期ロゴ、redbullのコピーライティング、ハズキルーペのCMなどデザインの勉強をしていない人でも立派に作ることができます。
つまり、意匠が上手いというのは、デザインがデザインたる要因の一つにしか過ぎないのです。
プロであれば、法的な安全性、ロゴの展開性、ビジネスのアドバイスなど複合的な価値を付与されているべきだと思います。
でもここでの深刻な議題は、値崩れによってデザイナーが食えなくなったらどうするか?です。
それは私もすごく困ります。
でもみんなが自由に意見を出し、デザインを作り、より良いものが適材適所する結果、廃業が訪れるのであれば、悪いことばかりではないのかもしれません。
おそらくこれまでも幾度となくそのような職や文化の切り替えが起こり、より理想に近い世界が実現されてきたのではないでしょうか
その時、渋谷あたりの公園に私は寝っ転がってると思いますので、一緒に職でも探しましょう。
意外と新しいアドベンチャーがあるかもしれません。
クライアント側の課題
まず価格についてですが、発注側に関して私はそれほど問題があると思いません。
数年前に、5000円でうまく公募でき、法的、倫理的、美術的問題なく、人々に愛されるロゴができているのであれば、目的をコストパフォーマンス良く達成できたことになり、
今回から10-20万に上げる理由はまずありません。
ただ、唯一問題がありうるとすると、その金額で応募してくれる人は、学生であったり、情熱があったりする人でしょうから、法的な問題が発生した場合は双方か図書館側で解決をするぐらいにはしてあげないと、何もわからずに応募してくれた若者たちが不幸になるケースもあります。
法的な問題は、応募側の責任というのが一般的ですが、流石に5000円だと、弁理士先生のお力を借りると大赤字です。プロは応募しなければいいのですが、問題は何も知らずに善意で応募してくれる若者などを守る必要性はあります。
商標まで見ろというのであれば、原価で最低10万は払うべきでしょうが、できないでしょうから、法律的な問題は、図書館側でみてあげるのはどうでしょうか
ポジティブな学びは何か?
デザインは、一般の皆さんが思っているよりパワフルであることを証明するために、より説明や再現性に重きを置くムーブメントができれば、海外のようなデザイナーの年収も夢ではないかもしれません。
ただその時は、ただものを作ればいいのでなく、『これって売れるよね?』という期待に、定性的、定量的に応え続けることになるでしょう。
しかし、それが実現できれば、もうデザインの価値、デザイナーの価値について疑問を投げかける人は圧倒的に少なくなるのではないでしょうか?
では、公園で出会わないような未来を目指して共に頑張りましょう:)
(まあそれはそれで何かおもろいことあるかもですが)
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