二つの言葉
秋も始まり、夕暮れも長く、夜の湿気が蒸し暑く刺さる。地球温暖化の影響か、随分と春秋は無くなってきましたが、ふと青山の並木道を歩いてみると、枯葉の粒が落ちていて、まだ転た寝した子供が居るような、そんな柔らかい気持ちで身を縮めて歩きます。
話変わりますが、予てより僕は言葉に意味を持たせるのが好きで、それも複数の意味を持たせます。それは言っている時にだけではなく、後から付け加えたり、減らしてみたり。話し言葉でも多様な色合いです。
それが時に思いの外良く見受けられたり、反して悪く受け取られる場合があります。花言葉のようなものでしょうか。ピースサインもそうですね。dysonの扇風機が割りと好きではあるのですが、まだ買えていません。手を中に入れてみたり、伸ばしてみたり。空洞があると、危険がない。持ち味のない言葉です。僕には、やはりまだ難しいです。
例えば『ピチピチ』という言葉があります。若さを表現する言葉ですが、枕詞を用いれば、皮肉にもなります。それに『まだ,なのに,なら』等繋がりによって変化もします。僕は一度ばかり、『40代はまだピチピチ』と表現したことがあります。僕の含んだ意味としては、『一般的な50代以上の方と比べては、40代はまだ至って若いが、それが貴女の良さにはなり得ない』と『僕の彼女は年齢として50代ではあるが、それはあくまで形式上のものであって、彼女の幾つかを含めて言えば、40代ですらなく、極めて魅力的なのだ』だったのですが、上手く伝わりませんでした。恋愛に年齢は関係ないといつも伝えて、共有していたのに、言葉の上澄みだけが拾われる。まだまだ意味の成すところが修行するところばかりです。