「完全栄養食」とはなにか:栄養素という1960年代の夢、現代の悪夢
1960年代から栄養学は輝かしい勝利を収めた。完全栄養食とは、「脚気にならない」「壊血病にならない」「くる病にならない」「欠食児童を太らせることが出来る」食事である。それはほんの30種類程度の単純な欠乏症に対しての勝利でしかなかった。
それらの欠乏症に恐怖するならば一生懸命食べるが良い。良かったね、脚気にならないで済むよ。しかし、「完全栄養食」などという言葉久しぶりに聞いた。
昔は「卵が完全栄養食」だなどと言われたりもしたが、「それだけ食べていれば健康でいれる」と思わせる言葉だと思うのだが、禁止されるべき単語であろう(笑)。
1960年代の恐怖は「欠乏症(必須栄養素の補充)」と「病原菌に勝てる基礎体力(カロリーの補充)」であったのだ。
この時代は家庭で料理が作られていたので、食事自身が最も必要な要素である「生命」に満ちていたのだ。家庭料理は調理のプロセスにおいて「食材の持つ生命(タンパク・脂質の立体構造)」を維持した食事となっていたのである。
「食物連鎖=身土不二」とは、細胞のレベルで互いに「生命(タンパク・脂質の立体構造)」を共有していたのである。
生命は狡猾で怠け者である。
食物連鎖から受け取ることが出来るものは躊躇なく使う。ヒト(及びサルの一部)がビタミンCを作る代謝系を失った過程はわかられていないがそう遠い昔ではない。逆に言えば、食物連鎖の中で受け取ることができなくなったら「死ぬ」のである。
この30種類の栄養素というのは、わかりやすく、短期的にアウトカムの発症する欠乏症である。医学はそれを見つけるにも大きな苦労をした。
今の私達を苦しめているのは、身体に「複雑で長期的なひび割れ」を与えるそれは、体内の状態で発症の形も違い、単純な因果関係はおそらく(複雑系の解明は論理的に不可能である)見つけることが出来ない、欠乏症である。
家庭料理とは何か
それは時間と手間がかかり、腐りやすく(マイクロバイオームにとってもいいものなのだ)身体の内なる海で代謝系に組み込まれる。
食事の中の生命はバラバラに消化されるわけではない。
そして、身体にとって有用である事を知らせるのが『美味しさ』なのだ。
食事は「美味しさ」が大事なのだ。
そして、家庭料理は手間と時間がかかる。習得が困難である。かつて家庭の内で徒弟的な繋がりの内で伝達されてきたものなのである。
意味化もわからないままに、時代遅れと言われる手順で作られる。そして、美味しいのだ。
商品として利を得るには適していない。
家庭というシェルターが破壊さたこの50年で見事に消えてしまったのである。僕は見つけたい。
フードキャピタリズムが私達を殺し富を得る
そもそもは「カロリーメイト」から始まったと思う。妙に媚びているような味が嫌いだった。
「生活習慣病とそのあとに続く多くの致命的な臓器の損傷」、難病と言われる病因がなく症状だけの「病」、骨粗鬆症、リュウマチ、類似の骨系のトラブル、膠原病と言う全身に起こる炎症、皆が恐ろしがる「認知症・アルツハイマー・など」と分類される症状だけの「脳・神経」の障害。
健康診断から始める「早期発見と余命宣告」のスパイラル。「不要不急の手術」で一儲けできるガンや検査値の異常と「精密検査のあわせ技」。
体重は、重要な指標ではない
僕も糖尿病と診断された頃、3ヶ月で体重を35kg落とした。当時は、VLD(ベリーローカロリーダイエット)なるメソッドが提唱されていた。肥満が死より怖いと言われていた時代である。「油抜き」などというとんでもないメソッドもあったと思う。
僕は当時体重は減ったが、一番死に近かったと思う。必須栄養素は十分取れていた。カロリーは最低限であった。ウンコは水のような常態か、兎の糞のようであった。肌はかさかさになり、皮膚の脂質は消え時折激しく動機があった。
当時から「こんにゃく麺」はあった。モヤシとこんにゃく麺が主食になり、大変だった。仕事で会社に泊まるのは相変わらずで、ビールのウイスキーを夜中に飲んでは壊れかけていた。
やがて、会社をやめて独立することになる。
当時はまだカロリー計算ソフトなどなくて、作ろうと思っていた。
その後、玄米正食に出会い、大きくQOLは上がる。そこが一回目の気づきである。価値のあるものは金では買えない。
40cmの中華鍋を買いキャベツ炒めを毎日食べた。今でも僕の相棒である。
食事の価値をようやく見つけた気がする。
このCMはものすごくいいね(笑)。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。