ゴールデンカムイ、デルス・ウザーラ、ダンスウイズウルブス、ダンシング・ヒーロー「異文化同士の出会い」
人はコミュニティの中でそれぞれに生まれ育ち死ぬ。そのコミュニティの中で当たり前と感じる「律」に従う。しかし、個の持つ欲望は常に「律」を破ろうとする。多くのドラマの根っこにはそれがある。
自分自身の「家族という揺りかご」は人を作る装置である。同時に「家族」は厳しく「個」の持つ「欲」を封じる。
僕の好む物語はその「律(ラング)」と「欲(パロール)」の間の葛藤である。そして、人にとっては全ての他人は異文化に属する。程度の差はあれ常に変わり続けることが強いられるのだ。
異文化と出会う物語
デルス・ウザーラ:黒澤明の映画では異色である。しかし、相当に面白い。デルーサとキャピタンの友情が素晴らしい。ゴールデンカムイを知って最初に思い出した映画である。
ダンスウイズウルブス:ケビン・コスナーさんがかっこよかったねえ。アメリカの開拓(侵略)時代における異文化との出会いのお話である。まあ、ちょっといいとこ取りして入るが好きだったなあ。
しかし、偉そうに映画の解説している町山っていうやつ僕大嫌い。昔は好きだったんだけどね、権威好きの薄っぺらの人間だということを知って大嫌いになった。
ダンシング・ヒーロー:僕はこれが一番好き。あまり注目される事は少ないが個のもつ「欲」とコミュニティのもつ「律」の葛藤があり、自分の属している文化を乗り越えようとずるのだ。
ゴールデンカムイ順調にすすんでおる。ものすごく食事のシーンが多く、アイヌの文化に対しての言及すばらしい。
アシリパさんが味噌を食べるシーンが素晴らしい。ウンコだと思っていた味噌がうまいことを知るのである。文化というのは個人を縛る。そして、個のもつ欲が文化を変える。
文化は個人を通して現れる行動のパターンである。そして個人の行動は内部の欲望が動かす。
世界は変わり、その世界に適応するために文化は変わる。その原動力は欲望なのだ。そして変わろうとする意志である。
まいった、仕事にならん。
「文化相対主義」という考え方がある。僕は大嫌いだ。そこで言うところの「文化」というのは『権威』である場合が多い。その上、この議論が必要になる局面では何らかの衝突が起こっている。
その時にどうも目下に見ているような感じがするのだ。まあ、僕は懐が広いから勘弁してやるよ、好きなように生きなさい。的な感じである。
格闘して相手を理解する感じがしない。偉そうなのだ。相手を理解する事は自分が変わることなのだ。
アシリパさんは素晴らしい、ウンコみたいな味噌もカレーも食べるじゃないか。
ああ、本当に楽しい物語である。みんなはどこに流れ着くのだろうか、ズーッと終わらなければいいのだが。
今度ゆっくりと考えたい。