ドッグフードでマユを飼っていた頃と今(僕の手作りで共に生きる)
ドッグフード時代の昔も可愛かったが、今はもっと可愛い。同じ釜の飯を食っているからだ。
この日は素麺が少し余ったので加えた。マユも僕も「そうめん」は大好き。僕の食事と同じものを食べるから、身体の内側の代謝系も似てくるのであろう。マイクロバイオームが共通でもあるのだ。食事とセックスは「生命=細胞の内外の体液の内で立体構造を保ったタンパク質や脂質」を自分の身体という「バイクロバイオームのコロニー」へと受け入れるのだ。そして、感染も同じ「律」を持つのだ。
飼い主が食事をしているときは絶対に物を与えてはならないとペットを飼うプロは言う。厳しく躾けろという。
僕は一緒に食べる。自分の命令に従う動物をかいたいのではない。損得なく、僕を慕い、共に生きて苦しみを慰め、喜びを分かつ家族がほしいのだ。
僕はマユの好きなものを少しあげる。最近はゲージの上に乗っているとかげるようにしているので、足に飛びつかなくなった。
唐揚げ大好き
トマトに目がない。カットしているときから、大喜びだ。
イヌは塩分を代謝できないから専門家が作ったドッグフードを食べさせろという。
ドッグフードの宣伝では、専門家のきちんと作ったドッグフードを買えという。ポリポリの安いやつだと生活習慣病になるから高いやつを買えという。僕は商売人が権威を借りて物を売っていると感じる。
余ったものや煮込んだ手羽先の先頭をメインいつくる。ここのキャベツが入る。
手羽先の先頭は出刃で刻身を入れて煮込んで冷えたら手で折ってやる。そうルルと骨髄まで食えるのだ。これはとてもいい。骨の髄までしゃぶってやるぜ的な食事になる。骨の髄まで味わてもらえる。ドッグフードポリポリよりいい人生の終わりが来るだろうや。
僕は自分の糖尿病の体験から、食事を素材を大事にしたプロセスで調理して食べることが大事だと思い決意した。
少し古くなったお肉も刻んで入れてあげる。肉の総量は難しい。売っているドッグフードのように計算など出来ない。毎日の食事が楽しくて、あんまりデブちんにならないように気をつける。お前も気をつけろと言われそうである。今僕の体重は100kgあるのだ。笑えない。
人参、モヤシ、ナス、椎茸、豚肉、手羽先、砂肝(今日の夕食のあまり)を入れて、キャベツを刻んで合わせる。
キャベツを刻み始めると「僕のだよね」とスタンバイする。
イヌは正直で好きだ。裏の目論見がない。時に僕の机の上の食べ物を狙うが意図は単純だ。
美味しくできた。必ず味をして少し薄めかなと思うくらいの味で丁度いい。明日の朝には冷えているので食べてもらう。
今日は初めて僕の布団にうんこされた。とは言ってもうんこがお尻から離れないで僕の布団のところで拭ったような感じである。あまり驚いて写真も撮らなかった。何ということだ。その後で同じ場所に大量のおしっこされたのでびっくりだ。妻は大喜びである。あの二人にはなにか共通の敵がいるようだ(俺)。時にマユは僕を怒るが裏心なく怒り噛み付くことも有る。
一回に3−4日分のご飯を作ってあげる。いつも食べるところを見るが、やはり嫌いなものはある。鱒の数日おいたものやイワシの丸干の頭とかである。
食べてもイワシの頭は少し残るのだ。ケホケホ言って苦しむ。身の方は大喜びで食べるから贅沢なものだ。どうも、あの内臓が焦げた味が嫌いのようだ。
ゲージから出すと、僕の寝床に来てすぐに寝る。添い寝すると大急ぎで逃げていく。まるで妻のようである(笑)。
イヌにも好き嫌いはある。
食べているところを見れば分かる。マユはキャベツが好きだ。細かく刻んで手羽先の先と一緒に鋳込む。朝の味噌汁や夜の汁を入れてやると味も美味しくなって嬉しいようだ。
少ししょっぱみが足りないかなと思うような時はガツガツ食べない。唐揚げのような物も刻んでいるることが有るが、嬉しいようだ。
食事を作り共に食べることで家族になるのだ。
食事作りは単なる苦行ではない。覚えるにも毎日続けるにも大変だが、これは人生の喜びなのだ。テーマパークや動画や映画ネット配信などより遥かに楽しい。
食事の喜びに匹敵するのはセックスぐらいである
僕のマイクロバイオーム論では、「食事とセックス」は「律」を同じにする。料理を覚えると一生楽しめる。今日は晩ごはんお時に手羽先を処理したので、マユの明日の朝ご飯には入るのである。
食事ピンコロの人生を迎えたい
もちろん、僕の食事をともに食べている家族にも、ピンコロな人生がやって来る。いつか来る別れを考えると辛い。苦しまないでピンコロな人生の終りを迎えたい。お互いにである。家族を思うというのはそういうことだ。
調理をするとき、父と母のことをもい出す。家族を思う父と母のことを思い出す。