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幸運な病のレシピ 2022年2月1日〜10日

Antipasto「栄養」という商売道具

「栄養」さえ取っていれば健康である。もし健康でないならば、バランスが悪く、多すぎたり少なすぎたりする。栄養士や医師は訳知り顔で食事に○✗を付ける。
「栄養素」というのは食材を「乾燥・抽出・濃縮」して得られた僅かな物質である。それ以外のものは食事の中にはないのだろうか。
1960年代の先端医学が見つけたものを未だに大事に教科書に乗せているのだ。ますます、健康に対しての不安は増して行く。サプリやトクホ、よく効く薬で儲けている輩が多すぎる。

「食事」が大きく様変わりをしたのはこの50年である。既に私達は食事を「買う」ことがたり前と考えている。「病因のない症状だけの病」がこれだけ蔓延しながらも医学は無力である。

一番の問題は私達が「正しい食事」を見失ったということである。正しさは人の数だけあり、金で買うことは出来ない。誰にでも効く薬はない。

栄養素という言葉はあまりに傲慢である。「細胞が浮かんでいる内なる海に満ちているタンパク・脂質の立体構造」を大事にした調理プロセスこそが大事なのだ。生命そのものである。

それは、伝統的な手間を惜しまない調理法の内に有る。

【2022年2月10日】マシンの問題で大騒ぎであった。何食ったかなあ。食事の内容って忘れやすいものである。

【2022年2月9日】




【2022年2月8日】今日は妻のパートなので揚げ物を作った。なんか贅沢がしたくなったのでスーパーで寿司でも買うかと思うのだがどうも面倒で出かけたくない。ピザもいいなあ。タラの汁はあるのでそれで我慢するか。無性に助六寿司が食べたくなることもあるし、人の心というのもは不思議なものである。
継ぎ足しオデンでワインを飲みだしたのでスーパーに行くのはお休み。明日にしよう。今日はウダウダ飲むことにした。なんか毎日である。


【2022年2月8日】昨日は飲んだが足はつらなかった。神様のお許しが出たようである。夜中に起きたので台所を片付けながら継ぎ足しオデンを煮た。継ぎたしオデンは面白い。毎日何かを追加しなあら味が変わっていくのが楽しい。大根の煮しめが実に美味しい味になる。チャーシュウなんかもしれたからなあ。この鍋は冷蔵庫に入るのでいいのではないかしら。「お裾分け弁当」に入れてみたいものである。
マダラの身が残っているので汁にした。住んでいて非常においしい。マダラコは未だ食べておる。300円でなんと幸せになれるであろうか。
売られている食事には、汁や煮しめがない。おそらくこの50年で起こった様々な変化がその原因であろう。
一皿の料理が社会のあり方と密接につながっているのだ。そして一人一人の死に方とも。



#継ぎ足しオデン #青梗菜クリーム煮 #カレーチャーハン

【2022年2月7日】朝から「継ぎ足しオデン」に大根を足した。下茹でして汁も足して煮たのである。夜に美味しくなっているであろう。少し焼きりんごとモツ煮ウドンを食べてウダウダしていたら昼を周り腹が減ったので、カレーチャーハンを作ることにした。中華鍋振るので手順はチャーハンのだが、ドライカレーと言ってもいいかもしれない(笑)。肉をチリチリに炒めて玉ねぎピーマン人参を炒めて「カレー粉と赤ワインで鶏ガラスープ、少し豆鼓ジャン」でコクを入れてご飯とよく炒める。カレー粉の粉っぽさが消えるとよろし。
老人にどうかなとも思ったが、喜んでもらえた。このぐらい辛いほうが刺激があって良いと言う。
鳥は蒸し器で蒸して、スライスして青梗菜と合わせて牛乳でクリーム煮にした。Sさんは膝が痛いという。何とか春には戻って欲しい。
ヒトの身体は常に作り直されている。骨は一年半で皆作り直されるという。できるだけ毎日喜んでもらえるおいしい食事を持っていくことにしよう。
明日からデイサービスで3日間お休みである。とは言っても僕は毎日食事を作る。自分のため、家族のために作るのだ。


#マダラ鍋 #土鍋焼きりんご

【2022年2月6日】マダラの身と白菜にネギを醤油で汁にした。当たり前の鱈鍋であるがとても美味しい。タラは身があっさりとしているので物足りないかもしれないと思い、焼きリンゴも作った。土鍋焼きリンゴはとてもいいものだと思うのだが、他国でも同じようなものはあるのだろうか?
バター砂糖と赤ワインでリンゴとレモンを煮込むのだが、汁が多めに出て美味しい。Sさんがとても喜んでくれたのが嬉しかった。なんとまっ先にレモンを食べているのである。食事というのはすごい力がある。そのものが美味しい=身体にとって「力」になるということを経験で知っているのだと思う。ちなみにマユはレモンのかわを残しやがった(笑)。タクワンのお返しに頂いたレモンである。遠くに住んでいる友人のことを思い出してしまった。なかなか会う機会もないが、若い頃はキャンプで楽しく食事をしたものである。
1人前の土鍋は無敵である。家には4つある。家族皆で鍋焼きうどんを食べるのが楽しいかなと思い買い足していったのであるが、気がつけばガスの口が3つしか無い。盲点であった。小さい子には鍋焼きうどんは凶器になるので気をつけたほうが良い。筒井康隆さんのエッセイで蕎麦屋での阿鼻叫喚を描いた物があった。大昔に読んだのだが、未だ鮮明に覚えている。小説だったろうか?


#マダラ煮付

【2022年2月6日】朝4時である。マダラの煮付けを作ろうと思った。夕方は汁を作るので、頭と内臓で煮付けて麩を合わせようと決心した(笑)。どうせ後片付けをするのだから待ち時間に片付ければいい。マダラは捨てるところがない。くさみが少なくて美味しい。ジックリと煮ることでアタマや内臓の内側に存在する「タンパク・脂質」の立体構造を維持したまま煮汁に誘い出せる。料理は味を出す側と吸う側のハーモニーである、麩はグルテンという汚名を着せられて肩身が狭い。しかし、炭水化物は「美味しさ」という食事の価値を保持して身体に持ってきてくれる。骨や内臓は食べるのは辛いがジックリと煮詰めた汁を食べれば同じ価値を手に入れることができる。
昨晩は酒飲んでしまった、禁酒5日目である(笑)。
カレー買って朝食ってしまった。魚はアタマを煮ると少し雑味が出るのが辛い。モツと継ぎ足しオデンのうどんを食ったのである。満腹であった。


#ハンバーグ #唐揚げ

【2022年2月5日】以前、「食事調査」の勉強をした。根拠のある治療EBMという『医師のる言い逃れ』に気がついたのはその頃である。何らかの治療を医者が選んだ場合、その選択が適切なアウトカム(成果)をもたらさない場合に「僕は悪くない、だって教科書にこう書いてあるんだもん」というためである。
多くの研究があるが、「食事を作るプロセス」に関して、特定の個人に食事を食べさせ続けてどういう変化があるかを調べたものはない。いま、Sさんに食事をお裾分けをしているのは実に稀な試みだと思う。毎日の食事の内容と作っている動画のカップリングで何かを記録したいのである。
ハンバーグリベンジである。長くハンバーグは上手に作れなかった。youtubeを見ても、本を読んでも味がイマイチであった。妻には、美味しい店に言ったことがないから下手くそなのだと言われ切れたり、大変であった。単純な料理ほど難しい。前回は少し挽き肉が柔らかすぎたので今回は工夫した。旨く出来た。ジャガイモと人参を蒸してグラッセにする。添え物はパスタである(笑)。揚げ物はガッツリするのでいい。鳥の唐揚げを醤油と酢で絡めた。下手に衣に味を入れるよりこちらのほうがいい。少ししょっぱかったが次回からの研究課題である。
Sさんは元気であった。今日お邪魔したら近所の方が来ていたので少し話をした。やはり食事は大事に考えていらっしゃる。

#マサヤ亭のラーメン

【2022年2月4日】ここ3日ほど、夕食を持っていってもSさんがドアのチャイムでも起きない。玄関まで来てくれなくて戸口に食事をおいて帰ることが続いた。娘さんに聞くと毎日「朝と夜との区別がつかなくなって」きているという。認知症ではないかと心配していた。僕の父もそうだった。いつも寝ていた。昼も夜もわからないと言っていた。けど、そんな事を気にするならば、きちんとした食事を作ることにしていた。素材から生命(食材の「タンパク・脂質の立体構造」)を大事にした食事に筒がない人生の終りを迎えさせてくれる力があるとおもう。
そこで元気をだしてもらおうとワンタン麺を作ることにした。以前、昔食べて美味しかったと言っていたのを思い出したのである。鍋に湯を沸かして生麺を茹でて食べていただいた。美味しそうに麺をすすりながら、昔よくラーメンを食べたものだと言うお話を聞いた。「スズタラーメン」というお店だそうだ。娘さんも初耳だという。検索したら、実際にあった。昭和10年創業という。泣きそうになった。食事が彼女の記憶の扉を開いたのだ。「食事」には力がある。
これから初めるお弁当屋さんのチラシにSさんの事を書きたいという話をした。これは前からしてあったのだが、昨日「自分には友達がたくさんいるから、写真を使ってもらいたくない」という。3ヶ月前は、自分自身が何者かを考えている余裕がなかった。僕の食事を続けていく間に若い頃の故郷を思い出して、やがて僕が記録のために毎日とている写真の写りを気にするようになって、近所にいる自分の若い頃の友人を思い出し始めている。社会性を取り戻してきているのだ。
僕は母と父に2014年当時から、食事を作った。母は夜眠れなくて大量に処方されていた安定剤から抜け出した。父は最後までウイットに富んだ受け答え、ドキリとするようの洞察のある言葉を発してくれた。Sさんにも同じことを感じる。わずか3ヶ月である。
脳が特別なものではない、身体全体が皆同じ様に重要なのだ。食事は瞬時に身体の海に取り込まれ全身にたどり着く。適切な「生命」が食事に含まれていれば、それぞれの細胞は再生しようとする。食事に重要なのは「栄養素」ではない。
医者と議論するつもりはない、製薬会社に金をもらう必要もない。自分自身を助けるために、「政治的に正しい栄養学」に殺されないために毎日食事を作る。


#マダラ

【2022年2月4日】マダラを妻が買ってきたので捌いた。卵が海に放たれる直前であった。身から離したらバラけてしまったがすぐに煮付けにした。残りは明日鍋にする。300円は安い。「政治的に正しい栄養学」はこのタラを幾つかの種類の栄養素に分析するが、それは食事の価値を意味するものではない。そんな分析には何の意味もない。自分自身の身体にとって必要な物はひとりひとり違う。このマダラの一つ一つの細胞うちには「数億のタンパク・脂質が立体構造を保ち」存在している。代謝を行っている。数えることが意味生化学物資つのうちのほんの40種類ばかりの分かりやすい欠乏酒を起こす物質の分量を測ることに何の意味があるのだろうか。
1960年代以降、社会は大きく変わり、生化学は大きく進展を見せたが、官僚のマニュアルとなった「政治的に正しい栄養学」は変わることは出来ない。50年前にはこれらの「欠乏症を起こす」存在しなかった「病因のない症状だけの病」は時代の変化の内に原因がある。
栄養学はあまりに多くの利権を生んでいる。売られている食事は専門家の太鼓判が押されている。トクホや機能性食品はフードキャピタリストに富を生んでいる。医師や栄養士の言うことを聞いていたらろくな死に方をしない。
僕は僕のルールで食事を作る。それが僕にとっての正しさなのだ。


【2022年2月4日】蕎麦も好きだがウドンも好きだ。加ト吉の冷凍うどんにヒガシマルの汁、昨日の揚げ物と混ぜご飯、夜半に食べるのは最高である。何と今日で4日酒飲んでいない。禁酒なんて簡単さ。

禁酒禁酒で半年暮らし、後の半年二日酔い
売り上げ足らぬし、年金少ない、酒のつまみに事欠かぬ
1日飲んで3日休むは四拍子、タン トントントン、何に怯えてリズム取る
四拍子から、ワルツになって、最後はタンタンと毎日一杯
俺のリズムは親ゆずり、チョイさチョイさ


#コガネカレイ #ワカサギ唐揚げ

【2022年2月3日】午後2時30分である。妻がパートに4時には入るのでそろそろお弁当のオカズを作らねばならない。切った張ったの大喧嘩ばかりだが問題の原因は僕の売上のなさで、年金の足りない老後で、そのためのパートなので、せめて食べるものくらいは「生命に溢れた食事:素材から伝統的な手法(母が作ってくれた)で作られた料理」を用意することにしている。
向こうも良くわかっているようでどんなに大喧嘩になっても食事は食べていく(笑)。弁当はつめていく。毎日の食事の積み重ねが身体を型作っているのである。家庭でしか料理が作られなかった時代はこうだったのだろうなと思う。しかし、循環する家族が崩壊して既に長い時間がたった。80歳になって何もできなくなった時僕は何を食べているのだろうか。
公的なヘルプが有るとか考えている方もいるようだが、役所は根本的に企業に丸投げである。フードキャピタリストは「人件費と材料費」を削る。最低賃金で働いている哀れな奴隷は、自分の取り分の為に材料費をもっと削る。老人は文句を言えない。
キャピタリストの存在しない「百年のお裾分け」は一つの回答になるとっもう。しかし、共通の価値を持たない限り、破綻するのは分かっている。オマケに妻は猛反対である(笑)。
まあいい、今日もSさんにお持ちして食べてもらおう。随分、作るレパートリーが増えた。揚げ物と汁を作った。黄金カレイ(コガネカレイ)の唐揚げはいい感じである。やすいし美味しい、大きさも弁当向けである。ワカサギも冷凍、少し卵多めで揚げた。汁は白菜に鶏団子を入れて、ヒガシマルのラーメンスープで味をつけた。卵をトキ入れてまとめた。冷凍の団子より美味しいことは確実である。

#混ぜご飯 #ポテサラ

【2022年2月3日】家庭料理というのは恐ろしくむずかしい。毎日作らねばならないし手抜きはもってのほかだ。長く続いてきた味を守るという意味では老舗の料亭と何ら変わりない。食事のアウトカム(効果)が厳しく問われる。家族が恙無くピンコロの一生の終りを迎えられねばならないのだから。毎日の食事の積み重ねが死に方を決めるのだ。僕は父母と暮らした最後の10年で知った。伝統的な調理方法と覚悟がいる。
朝から混ぜご飯とポテサラを作った。午後には揚げ物と汁を作ってお裾分けである。僕の混ぜご飯は玉ねぎが2個みじん切りではいる。当然皆溶けてしまうが、玉ねぎの美味しさが米に吸われて最高だ。鶏肉は炒めて醤油と酒のエキスは一緒に炊き込み、炊きあがったら合わせるのが好きである。ゴボウ、人参、レンコンは形が残るので一緒に炊く。柔らかくて美味しい。
ポテサラは温野菜の変形であろうか。サツマイモとカボチャを一緒に蒸して、ポテトはマッシュして青みの野菜と一つに合わせる。今日は豆苗があったので、蒸して合わせた。セロリはスライサーで薄く切って合わせるといい。
ポテサラって高度な料理だと思う。卵とジャガイモ潰してマヨネーズというのもシンプルでいいが、ありったけの根菜を蒸してジャイモマヨのコーディングをすると考えると嬉しい。お裾分け弁当の定番に出来るかもしれない。サツマイモとカボチャって、茹でれば崩れるし、硬いと美味しくないし、意外と食べにくいものだ。それだけに美味しく出来たときは嬉しい。


#大根菜の煮付け  #栃尾油揚げひき肉サンド #ヤキソバ #豆苗ワンタン #鮭

【2022年2月2日】大根菜っ葉はタクワンを干した時に塩につけたもの。一冬超すと発酵して独特の風味になる。味噌汁にしても煮付けにしても美味しい。今日は里芋と合わせて煮付けた。栃尾揚げのひき肉サンドは中に紫蘇の葉を入れた。これは新しい。めっちゃ美味かった。紫蘇の葉は使いみちが少ないと思っていたのだけど何の何の、サンドイッチにつなと一緒に挟んだら美味かったし最高だ。安い季節は限られているけど、生命とはそういうものである。ヤキソバは、鳥をぶつ切りにしてもやしとキャベツの水分とともに麺に吸わせて炒めた。
ここまでがビデオ、ここから先は夕方にやっつけた。汁を必ず付けるのだが、今日は豆苗の汁にした。ワンタンを作った。皮に鶏肉を挟んだだけだがそのくらい食べれる状態か確認したが、結構大丈夫だ。とは言ってもふやけると悲しい。ヤキソバは目玉焼きにの推せてオム焼きそばにした。
後は鮭を焼いた。焼き魚は無敵である。デロンギで、おおよそ20分で焼ける。魚焼きより洗う手間は少ないし返すときも楽だ。厨房には何台くらい入れればいいだろうか。


#キャベツ味噌汁 #酢豚

【2022年2月1日】豚バラブロックがあったので酢豚を作ろうと思った。酢豚は様々な材料を別々に油通しをしてケチャップと酢にオイスターソースで合わせるのだ。今日は生のキクラゲとパインを忘れなかった。油通しの前に唐揚げと出来合いの冷凍ホタテフライ、椎茸にかぼちゃを揚げた。鶏の唐揚げは難しい。まだうまく出来ない。カタクリで高温というのがいいのかもしれないが難しい。

赤魚は冷凍を開いて煮付けた。加ト吉のウドンに天ぷらを載せて朝ごはんである。キャベツの味噌汁は心安らぐ味である。少しこてコテコテに煮たほうが好きだ。キャッベツは味噌味がよく似合う。ポーチドエッグは別鍋で作って最後に合わせたが、ツモゴリにしてもいいような気がする。とは言っても個別に配るのが問題となる。溶き卵で行こうかと考える。





#大根菜の煮付け

  #栃尾油揚げひき肉サンド #ヤキソバ #豆苗ワンタン #鮭


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。