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寝床で物をねだるのは親密の証と聞くが、マユはイヌだしオスだし、ヒトでもないし、
江戸時代、将軍が側室と同衾(マイクロバイオームの交流を)する時は両側に官僚(去勢した男女)が付き、側室がおねだりをしないか監視したという。小池一夫先生が言っているt事だから絶対に正しい。「乾いて候」に書いてあるからね。
数年前に大きな仕事が入って、寝るまもなく仕事をした時に布団を仕事部屋に置いた。それはもう、地獄のような極楽のようなメルティングポットのような根が生えたような5分おきに寝ては置きてを繰り返した。
夢の中で良いソースがかけたことも一度や二度ではない。
僕が座っていない時はここでマユはねている。スキを見せるとキーボードと戯れる。先日もやられたが、大丈夫であった。
父が夜が明ける前に、腹が減ったときたときにもすぐに対応できて好都合であった。父は昨年なくなったり仕事は忙しくはなくなったのだが、僕が寝ていた部屋は物置化して、妻は小さい部屋に移り、今に至っている。
明け方に、腹が減るとマユは椅子から僕の顔を狙って飛び降りてくる。
マユの食事は毎回僕が素材から大事に作る。
今日は枝豆とゆで卵をトッピングした。「茹で卵」が有ると「マテ」と言っても待つことはない。聞く耳を持たないとはこのことである。
写真を撮ってもらったが、たしかに、でかくて狙いがデカくてが飛び降りやすそうである。バーミヤンの遺跡にこういう石像があったような気がする。
食事を食べると、もう僕の寝床には来ない。擬人的に考えるとおねだりというのだろうが、彼はイヌであり、「おねだり」などという概念はない。ただ飛び降りて、ペロルだけである。
客人の足に交尾を迫るのも間違えているわけでも、セックスに飢えているわけでもない。ただマイクロバイオームの言うとおりにするだけなのだ。どんなにしてはいけないと思っていてもやっちまうのには意味があるのだ。理性と本能などという言葉には何の意味もない。
マユが家の普段一緒にいる人間にはマウンティングしないのは意味がある。もうすでに十分マイクロバイオームが交流しているのである。
上下関係の確認と言われるが、それは「擬人化」によって動物の行為の解釈をするという分かりやすい間違えである。
ヒト以外には「リンネの種の分類」も「ダーウインのヒトが一番てっぺんのイラミッド」も分からない。そして、その傲慢な生命感が僕たちを苦しめる。ヒトは生命のひとつなのだ。
では、なぜ寝ている僕の顔に着陸して顔をペロルことが食事を得られることだと知っているのだろうか?
セックスをして、マイクロバイオームの交流があった時に男と女はその内側の代謝系が一体化する。この尽きせぬ渇望は社会にとって問題を起こす場合が多いので「家」という「貪欲を戒める檻」を宗教は見つけ出した。逆に言えばその時に今につながる「ヒト」と言う概念が出来たのである。
唾液や粘液に乗ってヒトの行動を支配する小さな「蟲」が身体を移動するのだ。これは僕の考えている食事メソッドとも一致する。
セックスと食事は「律」を同じにする。
そうでもなければ、あんなものをなめたりしゃぶったりできるわけがない。セックスの時にヒトは三歳児に戻るのだ。
「性悪女」で実験してみたいものであるが、ねだられるだけの財力がない、股間力も足りない。学会報告もない。
有るのは小池先生の「生命学的・歴史洞察力」である(本気)。
ああ、小池先生の著作たしかどこかに隠して有ったと思うのだが、きっと、家人に見つかると恥ずかしいので隠してあるのだろうなあ。子連れ狼では少しエロさが足りない。昭和のテイストである。
そう言えば、父が出張で時折買ってきた週刊誌のエロい挿絵の入った小説が懐かしい。あのテイストを再現できるアダルトサイトが作れたら、老後は安心なのではないかしら。馬鹿な妄想である。これもマイクロバイオームが僕を操っている証左であろう。
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