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医師も患者も幸せにしない「医療」と言うシステム

訪問医療において猟銃で撃ち殺された医師の報道がなされる。大変な不幸な出来事である。

しかし、問題を、犯人の異常性に終わらせようとしている報道姿勢には疑問がある。

母の苦痛は20年後の僕の苦痛

僕の母は、毎月の使用量を超える精神安定剤を処方されていた。多いときは数十の薬を飲んでいた。僕は隣に住んでいたのに、仕事に忙しく医師にまかせておけば良いのだと思い違いをしていた。

通院して薬が無くなったと言えば処方する医師も医師だが、商売なのだから仕方がない。本当の問題は、薬では解決しないのだ。不安から眠れなくなり、苦しいと訴えられたら処方する他無い。決して医者には治っせない病なのだ。
僕が寄り添うべきだったのだ。母が死ぬ前に気がつけたのは幸運であった。

母の場合は、僕が毎日食事を作るようになり、運良く薬から逃れることが出来た。随分ひどく大変だった。

最後の一年は、母は「死への恐怖」と向き合いながら生きていた。やがて、断薬が出来て、医者には一切行きたがらなくなり、静かに亡くなった。
歳を取るというのは大変なことである。
しかし、喜びもあるということを僕は知っている。時折母が見せてくれた童女のような笑顔を忘れることは出来ない。

今、お裾分けに通っているSさんの笑顔、僕に元気を出せと言ってくれる。


今回の事件、被告のお母さんがどんな「治療」を受けていたのか、一切浮かび上がってこない。


おそらく、患者思いのいい先生だったのだろう。医師は、マニュアル通りに処方する。

既に、「老人医療」は治す治療ではない。治らない治療は家族にとっては苦痛である。

患者は治る(苦痛から逃れられる)と思い薬を飲む。しかし、治ることはない。家族はどんな気持ちになるのだろうか?

では、老人へのケは、どういうふうになるべきだろうか?


精神病の医師に拳銃をもたせろ

以前、「精神病の医師に銃をもたせろ」と言うことを偉い人が言ったが、まったく問題が見えていない。

医療のシステム自身が問題なのだ。とは言っても、医療のシステムというのは社会の一部でしか無い、社会全体の問題である。

19810年代からこちら、「家族」と言う枠組みが破壊された。地域に経済が小さく閉じていた時代には「家族」と言う単位が生産の単位であって、行政が担っている殆どの役割を家族が担っていたのだ。「医療・介護・教育・政治」いずれも外注化は出来ないものなのだ。

医療キャピタリストの高笑い

はっきりしていることがある。
今の医療システムに問題があるとしても、「医療キャピタリスト(病院経営者、医薬品メーカー)」は医療システムで「利」を得ているのである。

可愛そうなのは、「臨床の医師」であり、「老人」である。

加害者が悪いのは当たり前である。しかし、僕は大学時代、加害者も被害者も同じ人間なのだと感じる心の大事さを学んだ。だから、被害者の立場に共感すると同様に、加害者の置かれていた所を知る必要があるのだ。
自分が被害者になるか加害者になるか、よく考えればいい。

僕は確実に加害者の方になるだろう。

僕は、医師の言いなりに何度も病院に連れていって、父を苦しめて殺した。未だに腹が立つ。

父の死後、何度も、病院に医者に談判しようと思った。
なんで、医師はあの時に『治療方法はないから家でしっかり寝ていなさい、夜中に起きてトイレ行こうとしないように便器を用意しなさい、出来たら隣に寝てあげなさい』と言わなかったのか!
しかし、医師はマニュアル通りの言葉を並べただけだ。それに従った僕が悪い。

どうせいつか死ぬのだから、ピンコロの人生の終わりを迎えたいと思う。

60代のどこか、まったく元気な様子である。ポツリポツリと友人や親戚が鬼門に入り始めていく。管だらけにされて、入院したままになくなる友人や、半身が動かなくなり会えなくなった友人のことをつらそうに僕に話したものだ。15年後に母は亡くなり、20年後に父は亡くなる。この頃は全く医者にはかからずにいた。母は僕に何度も「コロリ観音」に行きたいと言っていた頃だったような気がする。僕が帰郷する直前だと思う。父の弟(僕の叔父)の家の前のようだ。


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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。