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2022年のタケノコ 5/8:「締めの21本」 生命の森の話 合計:113本

明日、妻が友人にお裾分けしたいと言うのでタケノコを取りに行った。暖かくなると終わりである。芽を出したと思うと一日で身長くらいにまで伸びる。凄まじいものである。
ここに来ると自分にも根が繋がっていると感じる。僕はタケノコの一部なのだ。タケノコ掘りはテーマパーク等より遥かに楽しい。

このくらいからもう食べるのが辛くなるので折るだけにしておくことが多い。収穫が少ない時は採って帰る(笑)。

時期によって多く生えるところと生えない地域がある。
地下の枝ぶりがわかる。

タケノコを根まで掘ると、枝から新芽が出てのびる様に枝分かれしているのがわかる。タケノコの穂先はあたかも新芽のようである。

身体の内側で血管がのびる様に、竹にとって根を伸ばす何らかの刺激があるのであろう。そして土地の肥工合で太さは変わる。
細胞が環境に適応して形を変えるように竹生える場所で姿を変える。

決して正しい姿など無い。長い時間をかけて、土地は変わり太い竹が生えるようになりより高い森ができていく。

水の吸い上げの良い青竹があり、老人であろう茶色い竹が見える。やがて倒れ土を肥やす。この風景を見ると、2年前に父を苦しめて殺したことを思い出す。僕が悪かったのだ。ようやく、言葉にできるようになった。

医学という権威は病を直さない。患者の苦しみが富の元なのである。様子を見せに来いと言われるままに父を病院に連れていき、衰弱は進んだ。医者はCTを眺めておしまいである。大事なアドバイスは何も出来ないのだ。

父は夜中に立ち上がりトイレに行こうとして転倒して悪くなっていった。隣に寝ていればよかったのだ。元気になるまで実家に一緒に住めばよかったのだ。ポータブルトイレをおけばよかったのだ。
一回でも圧迫骨折の家族とともに暮らした経験があればその言葉が伝えられたのだ。父の姿がこのブログを書かせている。医学は多くの病に勝利した。しかし、病の臨床(患者と治療に向き合う医師)を苦しめ、医療キャピタリストに富を生む。売上のために臨床の医師は患者を苦しめる業務命令を与えられる。老人医療において顕著である。

多くの患者を見ている医者は、患者の苦しみを聞いて他の家族に伝えればいいだろうが、そういうマニュアルはないのだ。やがて自分の運命になるとは気が付かないのだろうか。お偉い先生の言いつけどおりに臨床に向き合っていれば素直ないい官僚なのであろうが、それは間違えている。

父と一緒に掘りに来たものだ。20年前はポコポコ掘ったものだ。僕より多く掘ったものである。徐々に父は掘らなくなり、1−2本掘っては一服初めていたものだ。亡くなる前年は一緒に来なかった。

森の真ん中に立つと静寂である。そ~っと伸びていく新芽の音が聞こえそうである。

風で竹林が揺れると独特の音がする。時折鋭い「パキーン」というような音も聞こえる。暖かくなりだした山は生命の音でいっぱいである。掘り始めた頃は山桜の花びらが散っていた。少し離れた山の中に大きな山桜がある。
今は木々の緑が光を遮っている。

ここの家族は多めである。木が折れたあとがあるので、森が回復しようとしているのだろうか。少し細い竹である。

山の中奥の方は土が肥えているので太いタケノコになる。竹が折れていたり、葉が積み重なりながら生命が始まっていくのだ。

「葉」を一つの「生命のコロニー」だと考えている。幹は一つの家族で、そこに毎年、「葉」が生まれ落ちて土を経由して新たな幹を作る。
地中に住む「蟲」は幹の内をつたい「葉」にたどり着きその一部となって新たな生を始める。
やがて時が来ると葉は落ちる。死は変わっていく世界を生命に伝えるためにあるのだ。

DNAが全体の設計図だと考えるとこのような生命のあり方は説明できない。DNAは細胞のプロトコルであり、外部に対しての反応の「経典」である。
プロトコルは世界の変化に従って常に変わっていく(生命のアップデート)。私達は今も進化(適応)し続けているのだ。
環境に適応して新たに変わる為に今を記述するのである。それが「生」の意味である。

21本取れた。かなりデカくなっっったものから穂先だけのものまで山を上り下りする。結構クタビレルものである。
今日は山で解体をした。根の方から包丁を入れて割ってむく。
全部割れ目を入れて一気にやっつける。
あっという間に山蝿が集まってくる。これにはいつも驚く、この山のどこにいるのだろうか。タケノコが真っ黒になるくらい集まってくる。
剥いたタケノコはビニールの袋に入れて持ち帰る。

父が亡くなる3-4年前くらいだったろうか、ガレージで皮を剥いていたときのことだ。皮が結構重くて、山に戻すのが大変だということを話していたら、父が「山で剥いたら良いんじゃないか」という、びっくりした。
年取ると、若い頃のように記憶力や反射力はなくなる。認知症と呼んで施設に放り込みたいのはわかるがその病は「病因」がなく症状だけである。治療は脳を壊すほかない。

人はみなまったく違ったものが見えている。それを理解する事こそが大事。
家族という絆は無条件で信じること。
昨今の統合失調症という「家族の病」は患者本人の訴えよりも医師ゃの金儲けを信じるということである。よく効く薬は患者の脳を壊す。世界は私達を壊そうとする、家族というシェルターは互いに信じ合い守り合うのだ。
もはや、残り少なくなってしまったが。

蝿がついてくると可愛そうなのでしっかりと払ってあげる。
田植えが始まっている。まもなく梅雨になる。梅の消毒をしなければ。
家についたら、すぐにアク抜きをする。

帰る途中に沢山の生命が伸びようとしている。もう重くて取りたくなかったので見のがしてやった。


山の入口の方は土が痩せているので細いが沢山生えてくる。森が広がろうとしている。
ブナの幹が折れた所に「猿の腰掛け」が大きくなっている。確か10年くらい前には一つ出ていたなと思ったのだが、今年はこんなにたくさんに増えている。菌類は幹の繊維質を分解して動物へと転生させていく。土中のマイクロバイオームの世界は豊かである。

#2022年のタケノコ
#タケノコ掘り




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幸運な病のレシピ
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