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幸運な病のレシピ 2022年3月1日〜10日

Antipasto「何も見つけられない食事調査」

初めて食事調査の専門書を読んだときには感激した。こういうふうにして医学は「健康」と「食事」の関係を調査するのかと驚いた。(2000年代の始めの頃に出版された本を読んだ)
アメリカで数十万人の規模で10年以上に渡り「特定の食事と健康の関係」の調査プロジェクトが幾つも進んでいるという。

素晴らしいと思ったものである。当時は純朴であった。

昨今の流行りは、今の基準で当時行われた食事調査の再評価をすることである。有意義な結果ではないと判断される研究が続出している。

つまり、過去に行われた食事調査を元に多くのサプリやトクホ、政策方針が立てられたがまったく効果がないから、どこが悪いのかと見直しているのである。もちろん日本研究者は、「どうして良いのかわからない。僕も被害者んんだよね。」と言うばかりである。卵は1日一個などという「厳しい戒律」が突然消えても自分たちに責任はないと言う。オメガ3のオイルが健康に良いと言う戒律も同様に批判されている。
今流布されている「戒律」は正当であるという保証はあるのだろうか?かえって患者を苦しめているのではないのかとは考えないのだろうか?

そもそも、1960年代のマクガバン報告(アメリカ上院での報告書)からこの間違いは始まった。食事を調査して、皿の上に当時分析可能だった「生化学物質」=「栄養素」がどれだけ有るかを調べれば、健康の問題はすべて解決するという「信念」があった。
科学バンザイである。ヒトはDNAという設計図で出来ているからみな同じなのだ。病気になるのは自己責任なのだ。遠偉い先生方はお考えになった。

食事調査(何を食べているか)が「一人一人の違いの根本原因」だと考えるには、すべてのヒト(細胞の生命のコロニー)は同じ様に出来ていると言う信念が必要である。
細胞はDNAというタンパク質の設計図を持っているが、その設計図からどうパーツが作られて、組み合わせられて80兆とも言われる細胞同士の間の「オシャベリ」しているかはその「細胞の長い生活史」の内にある。
氏より育ちであることを昨今の双子研究は示している

だから僕は食事を毎日作る。50年前の伝統的な調理メソッドのエッセンスを見つめながら。それは僕を慈しんでくれた母の心である。

【2022年3月10日】今日は新潟行ってきた。なのでスーパーの食べ物で固めた。大根菜っ葉の味噌白を夜作った。懐かしい味だが、そう感じるヒトはどれだけいるだろうか

【2022年3月9日】昼にリガトーニグラタンを作った。ベーコンと牛肉を炒めてトマトで味を整えた。炭水化物は毒ではない。美味しさの「ハブ(中心にあり美味しさをつなぐ)」である。問題は満腹のコストが安いということである。

【2022年3月8日】父の三回忌であった。

【2022年3月7日】トルティーヤで卵とベーコンを挟んだ。昨日の鶏肉をなべに加えた。土鍋焼きリンゴを作った。明日は父の2年目の命日である。従兄弟の伸一さんにお膳を一つ作ってお持ちする。父の好きだったものを一膳にまとめてみよう。食事は多くのことを思い出させてくれる。妻はパートなので、一人で仏間で飲んでいようかしら。
夜はサイゼリアに行って、エスカルゴ食べた。サイゼで喜ぶ僕であった。タッパに少し詰めて帰ってきた。また飲んだ。

【2022年3月6日】1日外にいて、買い物して帰ってきた。ハタハタは干されて美味しく焼けた。3日家の中で干したのである。ワイン飲んで早く寝て早く起きてグダグダしていた。案の定足がつった。アイス食いたいのである。



【2022年3月6日】介護政策は間違えている。ダムを作れなくなったので日本中で介護施設が出来上がり片端から老人を「認知症」と診断する。そして人生を取り上げて介護施設のに入居させる。年金は介護施設のキャピアリストと、親戚縁者で山分けとなる。施設を高級マンションのように考えている方々もいるが、そうではない。すべてを奪われ。自分を知っているヒトもなく、毎年血液検査をされて、薬をもられる。「家に帰りたい」と言えば、精神安定剤の出番だ。口をパクパクして言われたことしか出来ない老人が出来上がる。管だらけにされ、死なせてもらえない。ミイラになるまで生かされて、「介護キャピタリスト」に頑張ったねと褒められるのだ。自分の未来だとは考えられないのだろうか?
「心が狂わない食事」「80歳になっても続けられる食事」を考え、実践している。生命とは神秘的な言葉ではなく、「タンパク・脂質」の立体構造が破壊された食事である。身体という皮膚の内側の海に満ちている「生化学物質」は適切な立体構造が必要なのだ。老人向けの冷凍弁当も何種類か食べてみたが、「栄養満点であるが生命のない食事である」。そして、コストを最低に抑えられた食事はフードキャピタリストに富を与えることになる。
もう1ヶ月以上「継ぎ足しおでん」と言う鍋を維持している。毎日素材から食事を作り、余ったものを少しずつ継ぎ足していくのだ。これはうまい。手羽先などはホグホグになる。昨今はボーンブロスなどと言うレシピが注目されるが、私達は既に持っていたのだ。毎日火を入れて、少し足して少し食べる。関節系のトラブルや認知系のトラブルも払うことが出来る。
父母に毎日食事を作った。「トイレに自分で行ける(最低限の身の回りのケア)」「心が狂わない」「薬が必要でない」この3つが出来る様に祈りながら、50年前のメソッドにならい作っていた。


【2022年3月5日】めでたい宴であった。仕事のトラブルが解決した。お寿司に「餡掛けヤキソバ」である。

【2022年3月4日】栄養素という概念が私達を苦しめている。すこし前に気がついたのだが、完全栄養って相当怖い概念である。
イワシとハタハタを捌いた。キャベツの汁にライスペーパーである。豚のレイシャブに玉ねぎと素手ソースを作ったが美味しくない。やっぱ難しいものである。キュウリがあるので次は鳥のササミとマヨでやってみようかしら。酒飲まなかった。ハタハタは日曜日になると思う。干して炙るのが嬉しい。



【2022年3月3日】警句というのは、その逆が問題となった時に時に生まれる。一物全体食と明治期に石塚左玄先生は言った。明治期は、農民が厳しい江戸時代の「食事コード」から一気に開放されたのだ。「食事コード」からの開放は「食事の変化=食物連鎖の変更」を生む。従来の食物連鎖で手に入れていた「食事」が失われたのである。
生命の食行動は「満腹」を目指す。食事を摂ることはコストが大きい。「満腹になったら止める、手早く満腹を手に入れる」この2つの命題は大きい。多くの生命は、特定の食物しか食べない。なので、その食事に体内の代謝系は食事に特化している。パンダが笹しか食べなくてコアラがユーカリを好むのは可愛そうでもなんでも無い。それ以外のものを食べることが出来ないのだ。蓼食う虫も好き好きと言う言葉は言い得て妙である。ヒトは雑食という「食事コード」のおかげで多彩な環境で生きることが可能となったが、同時に様々な食事由来のトラブルに苦しむこととなった。代謝系の調整は時間がかかる。もう100年もすれば、「カップ麺やお店の弁当+得効く薬」に適応した人類も生まれるかもしれないが、まだまだ先である。
僕は、この50年の食事の変化が多くの災厄を生んでいると思っている。石塚左玄先生の警句は実に素晴らしい。そこに付け加えるととしたら、「電子レンジも圧力鍋も使わないほうが良い」である。
レバニラはナンプラーで作ってみた。中々エスニックな味付けに感じる。何を作るかを考えるのは楽しい。ライスペーパーが上手く使えなかったのでしばらくは練習である。練習こそが上達の道だ。豚肉は脂を上手く油っぽくなくするするタレ(豚丼のタレ)を使った。脂を上手に食べることは僕のメソッドの重要な一点である。分離された脂より、生命が持っている脂をジックリと加熱して頂く。


【2022年3月2日】電子オレンジは調理に好まない。内側から沸騰するために食材が美味しくなくなるのである。「タンパク・脂質の立体構造」が破壊される。熱でタンパク質が変性するのは常識である。玉ねぎの調理に使うのを見たが、玉ねぎの細胞膜や細胞の内外には数億〜数十億の「タンパク・脂質」がある。タンパク質というのは筋肉のことではない。巧みな立体構造が言葉となって細胞に「必要なもの(生命の要素)」が細胞の外にあるということを伝える。「栄養素」というのは愚かな表現である。1960年代に特定された「乾燥後にも存在する生化学物質」を30種類ばかしあげているのだ。栄養素を「十分取れば誰でも健康になるというドグマ」が破綻しているのは今の私たちの周りを見ればわかる。
鳥ムネを食べるときは、水から沸騰するまでジックリと加熱して、3分置いておくといい。3分過ぎたらこう少し細かくカットするとくさみがなく下茹でになる。今日は白菜とのクリーム煮にした。新鮮な白菜がたっぷり入り僕の好きな料理だ。鶏肉に火が通っていないことが有るので工夫が必要だ。味付けは鶏ガラスープでに煮た汁も使う。ライスペーパーは昨日のミートソースを使った。使うコツがよくわからない。今後の練習課題である。今度、サンチェに合わあせて焼き肉を包んでみよう。熊のモモ肉は明日が一番美味しくなるであろう。保温鍋ででジックリと火を通して旨さがスープに溶け込んでいく。

朝は「継ぎ足しおでん」に辛子明太子トーストであった。

【2022年3月1日】妻のパートの弁当を作る日である。揚げ物に入ることが多いのだが、昨日が天ぷらだったので今日は手羽先ネギを醤油で炒めた。焼鳥より美味しい。ネギのエキスが焦げて絡むのがいいのであろう。朝はサンドイッチを作った。目玉焼きを挟んでレタスとチーズを入れてフライパンで焼いた。昼にはパスタを作って、イワシを焼き、手羽先をねぎ焼きである。手羽先はコストが安いが食べるに面倒である。先の方はマユのご飯にして元の方は焼いて食べるのが良いパターンである。最近は継ぎ足し鍋にマルっと入れたりもする。誕生日なので贅沢をした(笑)。

お雛様のご馳走でスーパーは大騒ぎであった。
誕生日プレゼントのウイスキーが空いた。トルティーヤにパスタを挟んだ。美味い(笑)。
昨日捌いたイワシである。今日は残っている2匹焼いた。
パスタに卵を落として食べた。カルボナーラと言うには手抜きすぎであろうか。卵かけパスタである。十分美味しいと思うのだが、こういう食べ方はあまり一般的ではないのだろうか?

【2022年3月1日】「タンパク質」は複雑な三次元構造を持つ。一列に並んだアミノ酸が元素のつながろうとする力で折り曲がり固有の立体構造を持つのだ。先日「相分離(細胞内での物質の搬送)」の研究書を読んでいたらRNAの指示で作られたタンパク質が折りたたまれる際に30%は「折り間違い=ミスフォールディング」が起こるという。
静岡の郷土料理だと聞く。1月24日から始めたので5週間目である。毎日その日に残ったものを入れては加熱するのだ。色がだんだん黒くなるという。味がどんどん変わっていくのが面白い。最初は普通のおでんだったのだが、様々なものが入るにつれて深みが出てくる。
#継ぎ足しおでん


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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。