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子宮頸がんワクチンの積極的なススメ再開:まずは役人が全員接種しろよ!

「ほとぼりが冷める」とはよく言ったものだ。新聞が「何も起こっていなかった如く、薬害をスルーしている」ことに注目(笑)。やっぱ広告主は大事だからねえ。

妻との諍い離婚直前

2011年当時、娘に受けさせるか随分考えた。妻は当然受けさせる方であった。しかし、裁判が起こるほどの薬害(この時はまだ薬害が公になっていなかった)であるということを考えると受けさなかった頃を後悔していない。

当然のことであるが、妻とも大喧嘩。「あんたみたいなバカにそんな事言う資格はない。娘が子宮頸がんになったらどうするの」「娘が死んだらどうするつもりなの」だ!「そんなの僅かな人だ」「その僅かな人になったら100%で因果関係がないと連中は知らん顔する」「大丈夫、宝くじにも当たらない一家なんだから」

娘はリレンザで死ぬ直前であった。先日の職場接種で熱が40度出て済んだ。死なないでよかった。一生の間に一度ももそんな高熱になったこともないのに喜ぶのである。

発生生物学の「教科書過去の研究の影」を読むと、「免役」と言う仮説が間違えているとしか思えない。受精後にまだ免疫系が出来ていない状態のときから細胞は周辺の『菌』から自分を守る術を持っている。
自分という細胞を害さないマイクロバイオームと共生することで、自分を守るという。サンゴ礁でイソギンチャクの触手の内にいる魚を思えばいい。
受精卵が着床するまでの間は、母の血液とも接することはない。僕は免役を「死肉処理スカベンジャー」と考えている。
常にうつろっていく生命、細胞は全体など知らない。何を持って自己というのか。自己と他者の区別など出来るはずがない。今私達を苦しめている難病や膠原病は自己免疫疾患である。
抗体だの抗原だのと訳知り顔で医師は教科書通りに説明する。教科書はだいたい間違えているものだ。過去の影にしか過ぎないのだから。


やがて、「子宮頸がんワクチン薬害」が公になる。僕はこの裁判を頑張っている人たちを尊敬する。自分が奪われた未来を取り戻すことはもはや出来ない。しかし、多くの人に気づきを与えてくれる。

医療は時として人の未来を奪う。そして、製薬会社に買い取られた行政・医療は隠そうとする。商売人に騙されてはいけない。

決して妻を責めるきはない。TVから流されるCMや特番は医療の侵襲を是とする。ゼロリスクを求めるのは馬鹿だという。僕はゼロリスクなど求めない。運の善悪も有る。自分で判断して運命に見い向き合うことは大事だ。

しかし、明らかな「薬害」は話が別である。高い金額のペナルティをメーカーに課して、国の認可の是非を問うのは「医療という笑売」が暴走しないようにである。

そして、万一起こった場合は適正に保証して、未来を失った被害者の心に寄り添うことが重要なのだ。そしてその役割を担っていた「家族」は失われてしまったのだ。もはや、国という枠組みは私達を守ることはない。

予防医学は医師のボーナス

忘れてはならない、予防医学というのは、健康な人から未来を奪う。

予防医学というのは「アウトカム(効果)」の必要がない治療である。治らなくともいいのだ。そもそもかかっていない。まだ症状が出ていないのに「治療」するのだ。そして100%ではないといい、症状が出ても仕方がないと思わせる。アイツラは優秀な詐欺師である。

狂犬病の予防接種は獣医にとってのボーナスだという。病人が少なくなったので健康な人間の未来への不安を盾に荒稼ぎである。

毎年の健康診断というコンベアニに乗ってしまったらもう終わりである。全ての検査値が「正しい」などというヒトはいない。人というコロニーは一つ一つ違う。一つの検査値の異常が一対の原因とつながっている訳ではない。工場で生産された機械ではないのだ。80兆個の細胞とその何倍ものマイクロバイオームが互いに「ディール&ダンス」する大きな世界ダンスホールである。そして外のコロニーとも繋がり共生するタペストリーなのだ。医学が信仰する検査値は生命のコミュニケーションの言葉の切れ端である。

岩田健太郎というインチキ野郎

最初この売文家の本を読んで驚いた。何と医師でありながら医療の権威を否定しているのである。熱狂的なファンとなって本を買い漁ったが、やがて子宮頸がんワクチンに関しての新書本を買った。

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冒頭では景気よく、このワクチンの薬害に対して否定的な言説が並ぶ。薬害に関しての原因が解明されて再発が防止される保証がなければ再開してはならないと言う。「良いぞやれやれ!」と思いながら読んでいくと、徐々に風向きが変わる。様々な統計や海外の文献での例を並べ、最後には「皆ワクチン打て打て」という結論になる。

この輩商売人の本を改めて読み直してみると、同じ法則が見えるのである。最初に一般の人か感じる医療に対しての違和感を肯定する。そして専門家ずらして「お前らは馬鹿だから」わからないだろうが「お前の健康」のことは専門家に任せればいいとおっしゃるのだ。多くの医師が読者なのだろう。

治療は侵襲的である。治療は体を壊す。苦痛を伴うのだ。しかし、病気であるのに比べたらまだマシなのだから仕方がないということなのだ。

食事に関しての知見も浅い。食事に感謝の気持を持って「いただきます・ごちそうさま」言えば良いのだという。思わず吹き出した。こいつは「呪い師旧世界の医師」か(笑)。

類似品に「内海聡」もございます。どっちもご注意ください。

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ピンピンコロリの人生を

まあいい、年取っていけば自分も同じレールに乗る。

今の医療の常識が過去のものとなった30年後には「トンデモ本の売文家」としてしか記憶されないだろう。

毎年健康診断を受けて、検査値の異常を「正しくする」薬をもられ、同じ様な手術を繰り返す。やがて「経管栄養・胃瘻・輸液」でミイラのようになって何処かの施設で死ぬのだ。年金ATMとなって医師に貢ぎ物をする。かつて自分が受け取ったようにである。こういうのを悪業の報いという。

しかし、問題は善良な人生を送った人も同じ道を通るのだ。人生は不公平である。

大事なのは、食事。僕の食事メソッドは伝統的な家庭料理の良さを今の世界で実現する

食事の価値を信じて医者に行かないで人生の終りを迎えたい。

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#岩田健太郎

#内海聡

#子宮頸がん


厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。