癩(らい)病、結核、エイズ、コロナ。PCR検査で感染がわかったら「エンガチョ」切られておしまい。
家族がシェルターとなって共に病と向き合った時代はもう終わったのだ。PCR検査でコロナ陽性になって、陰性にずーっとならなかったらどうなるのだろうか(笑)。ワクチンとか免疫とか非常に貧弱な生命観に裏付けられたフェイクな仮説が破綻することは良いことである。インチキおじさんたちが退場することはないだろうが。
そもそも発症する人としない人の間には、大きな違いがあるのではないかと思う。
マイクロバイオーム的に言えば、「ヒト全体」に対してウイルスは影響を与えるのではない。個別の細胞に対して影響を及ぼすものなのだ。その細胞が、「人と呼ばれる種のコロニー」「犬か猫か鳥かコウモリ」の中かなどということはコロナウイルスにとっては関係ないことなのだ。
「人獣共通感染」などという思い上がった人間中心の(貧弱な)視点は生命を捉えることは出来ない。コロナ対策という言われる行政の予算バラマキは実に思い上がっている。そして「人の社会」を破壊するが、ウイルスには効果がない。
特定の機能(膜タンパク)を持った細胞に対して特異的にウイルスは情報を持ってくる。その機能は災厄をもたらすのみではないはずなのだ。と言うよりも、医学は目に見える「災厄」をしか見えない。
ワクチンの効果などというのも、防護率が〇〇%などと言うが、勝手に都合のいいエビデンスを作るだけだ。疫学的調査などというものがこれほど役に立たないものだとは思わなかった。医学的なエビデンスなどというものがそんなものだということがわかっただけでもいいが。
ウイルスが何らかの他の問題を回避させているとは考えることは出来ないのだろうか?もしくは証明することは出来ないのだろうか。
風邪を引かないのはバカの証拠だと言うが.......ん、俺?
「風邪の効用」と言う本の中で、風邪はそろそろ休みなさいというふうに体が言っているという。僕は「コロナの効用」とでも言うべきものがあると思う。
世界に意味のないものなのだ無いのだ。
病と穢(ケガレ)
今の私たちの「疫病」に対しての汚いもの、穢(ケガレ)と言う感覚はおかしなものではない。
かつて家族に天然痘が出た時は、家族全体がコミュニティから絶縁され、死を迎えいれた。それは仕方がないことなのであった。しかし、行政がそれを法律にしたとたんにおかしなことになる。「らい病」についての一連の問題を考えればいい。
僕の大好きなゴールデンカムイのエピソードにまたぎの部落で天然痘が発症したお話がある。当時のメンタリティはそういうものだったのだろう。僕の母の世代では結核が多くの家族の命を奪った。そして感染症に対しての医学の勝利の記憶は医学を権威として受け入れる様になる。
エボラ出血熱が流行している地域で、患者を医療機関から奪い返そうと暴徒が病院を襲ったというニュースを聞いたことがある。無知な連中が暴れているという風の報道であった。しかし僕には「当たり前のメンタリティ」なのだとしか思えない。
何があっても、僕はワクチンを接種しない。発熱したら出来だけ人に合わないでじーっと寝ていて重篤化したらそのまま死ぬ。そう決めている。間違えても医師なんぞ呼ばないでいただきたい。
コミュニティがきちんと機能していたときにはその内にそれなりの対処方法があったのだ。コロナを見ていると、余りに医学のアナウンスがお粗末で「煽り過ぎ」である。
テレビの有名な人が発症して亡くなった時に、別れも告げられず、焼かれ玄関先に骨壷が置かれて一切の接触が出来なかったことを覚えているだろうか。あの実況放送を見て思わず頭抱えた。恐ろしい怨霊が居るようであった。今でもあのやり方は標準なのだろうか?
ホストクラブへのバッシングってどうなったのだろうか
随分、新宿のホストクラブが病気を撒き散らしていると言われたが、あれはどうなったのだろうか?
やっぱ最終的にセックスが問題だと言っているのだろうか?
すごく知りたいことなのだが、コロナ対策で、性病は減っているかなあ。
これだけ大騒ぎすれば、当たり前だがコロナ社会学という分野の考察が増えるだろう。
コロナが恐ろしいというキャンペーンで不要不急のセックスは減っているのであろうか?不倫セックスは減っているのだろうか?ニュヨーク大停電で一年後に新生児の生まれる波が来たと聞く。今回のコロナで、人口抑制は出来たのだろうか?AV配信の売上は上がっているのか?ある程度のスパンで社会の変化が見えるだろう。
一番気になるのは「リモート」の普及が、社員の労働条件にいかに影響するかである。事務職が随分リストラされるだろうなあ。もしくは必要な人員が減るはずである。新規採用の事務員は確実に減っていくだろう。
オフィスの「花」としての「イケメン男女」が好まれる傾向は減るまいなあ(笑)。パワハラ・セクハラの燃料は必要だからな。
自分に症状が出た時は人と合わずにじーっとしていれば良いのだ。症状が出たら部屋でじーっとしているのが普通の対応だ。わざわざ医者に行って広めることはない。もっと悪いもの広てくる可能性が高い。行っても何もいいことはない。
PCR検査の検査結果を元に、判断するのは僕には気に入らない。検査自身の信頼性もエビデンスもない。これだけ多くの検査を行いながら問題は解決しない。それこそが役に立たないエビデンスである。まさにマッチポンプである。医療メーカーが大儲けだ。
ウイルスは至ることとに居る。「社会的な防衛」などということは出来ないのだ。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。