あのツナピコの味は何処
この50年での生活の変化が「病因」のない「症状」生んでいる。生活習慣病やその後に続く「合併症と言われる臓器不全」、指定難病・膠原病と言われる全身各所に起きる炎症。リュウマチ・骨粗鬆症と言われる骨生成と破壊のアンバランス。ガン・自己免疫疾患と呼ばれる免疫系のサボタージュと暴走。みな、食事に原因があるのだ。クスリで検査値を下げても意味はない。
僕が小さい頃の食事、母が丁寧に作っていた食事、そんな中にこそ解決の鍵が隠れていると思っている。
素材から、コストに縛られることなく食事を作ること。出来るだけ「食材の生命が終わった時点」から距離も時間も離れていない食事を作る。生命の内に住むマイクロバイオームは外に流れ出し、そこにあるムクロは単なる生命の残骸でしかなくなるのだ。
50年前は冷凍技術も「乾燥・抽出・濃縮」の技術も進んでいなかった。この技術を推し進めたのは「安くでくらくらするくらい美味しい食品」が競争に勝って生んだ利益のおかげである。
そして、わずかでは有るが、その時代のことを記述している人達もいるのだ。いろいろなnoteを見ては、懐かしい思い出を探す。
僕も大好きだった思い出
おそらく「クジラの大和煮」などと同じ様に海の幸をタンパク源にしていた時代のものだ。政治的な綱引きから、クジラ漁が野蛮だと決めつけられて、日本はアメリカの牛肉の消費国となっていく(IBM互換路線を叩く事を隠蔽するための政治ショーだったとも聞く)。
目一杯食っちまった。粒が小さくなったような気がする。ぼくが大きくなったのだろうか。今日も食べよう。
吉野家の牛丼が格安で売られ、僕は大喜びであった。今でも牛丼は大好きだけど、クジラの大和煮が安かった時代を懐かしむ。
中曽根ハミさんのサイトは素敵だ。
とても素晴らしく、懐かしい風景が広がっている。こちらの作品を読ませていただいて思い出しました。
食事とは世界のあり方と一体である。世界のあり方が、家族の食事となって私達のもとに現れるのだ。
マユも大好きになった。
8月20日に到着しました。
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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。