MIKEY(マイキー)さん最高、大好きだ。
随分前に東京ゲゲゲイを知って、驚いた。あまりに強い政治色にびっくりしたのだ。
そしてどんな表現も政治的であることからは逃げられない
You Tubeでマイキーさんがいろいろな曲をカバーしているのを見て。涙が止まらなくなった。
何という表現力であろうか。
ダンスが上手い。いつか真似できるようになりたい。
この曲は、恐ろしい。まさにイデオロギーである。
最高だ。僕は子供の卒業入学といった式典には行っていない。君が代が嫌いだからである。起立しないと御学友の方々に変な人だと思われるから来るなと妻に言われておった。
まさにマイキーさんの表現は権威に対してのレジストであり、あらゆる人にとっての開放でもあるのだ。
「ゲゲゲの鬼太郎」をモチーフにしているところも素晴らしい。水木先生も大喜びであろう。
自分として生きる姿は勇気をくれる。
セックスという物は身体というコロニーの内側にいる細胞生命が外部に広がろうとするパッションだ。だから性別などというものは「生命学的」には意味がない。言語と同じタイミングで埋め込まれる社会を維持する装置(権威=宗教=家族)でしかないのだ。そして、その装置から離れてはヒトは生きていけない。
自分を傷つけるものが自分を定義している。
トラルファマドール星人は7種類の性別があるいうが、マイクロバイオーム論者の僕のハートから見たら「ヒト(種)」という枠組み自身が意味を失う。
リンネさんが決めた「種」という概念は科学的でも宇宙の真理でもない。もう解き放たれてもいい頃である。この袋小路はリンネとダーウインに始まりパスツールで勢いに乗り、ワトソンとクリックがとどめを刺した。そして、崩壊はすでに始まっている。
そう考えれば、人のサブカテゴリーである性別などは意味がない。イヌは僕を見てなどいない。僕から漏れ出る「マイクロバイオーム」しか見えないのだ。生命という枠は恐ろしくあやふやで「境界」としては意味をなさない。
おならが臭いのは直腸内の粘膜のかけらが空気を浮遊して自分の鼻腔内に入ってくるからであるし、体臭は毎日100gずつ滑落する「皮膚=細胞の脱水されたもの」なのだ。花粉症は杉の花粉(精子)が空気中を漂い人の内側に入ってきていることの証明である。
生命は共に生きているのだ。
このダンスは素晴らしい。歌詩も凄い。今まででで聞いた中で一番のダイエットソングである。