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偽りの「フォッカッチャ」

このフォッカッチャは教科書に載っていない。しかし、僕にとっては最高に美味しいものである。教科書は人生を教えてくれない。
『食事に対する愛・生活に対しての愛おしさ』が感じられない「マニュアルやレシピ」はつまらない。理科の実験ではないのだ。
その時生きていたという言葉が、今を生きようとする『私』には必要なのだ。食事作リに迷ったとき、僕は母に言葉をかける。2016年に亡くなった母は料理がとても好きだった。家族の笑顔が好きだったのだ。

そして、分量がきっちり書かれて細かい手順の詳細な記述はそれ以外を偽物かのように思わせる。
あたかも、外国語を学び、ネイテブの文法的誤りを指摘する愚かさを感じる。そこで生きる人が正しいのだ。僕は母が次第に「TVの健康番組の警句」を信じ始めていく姿を思い出す。僕も同じであった事を後悔している。


「政治的に正しい健康情」をあたかも絶対的な真理のように書き散らかす方々ほど見ていて辛いものはない。エビデンスがあるなどと言っても、調べてみれば呆れるほど当てにならない。商売人がサプリやトクホを売るための「太鼓判」でしかない。そんな物信じていたら、リュウマチに骨変形、膠原病やら指定難病、ガンに心不全・腎不全、壊死壊疽・肺炎、膵臓起因、「眼耳鼻舌身意」のトラブルいづれも高度医療という拷問は損傷を受けた「細胞組織臓器」を破壊することを「治療」と呼ぶ。そして死ぬまで終わらない「投薬・輸液・経管栄養・胃ろう」で辛い人生の幕引をむかえる。

料理は家庭で作られて、その時々で違った顔を持つ。自分にピッタリの「ヒネリ」こそが大事なのである。

作り始めた当時はどう作っていいかわからなかった。この2冊はとても良い。料理本は難しい。大事なところが読み手に分かるように出来ているのがよろし。何よりも料理に対する愛が大事。
作り始めた頃は何度も失敗した。やがてコツが分かり上手く作れるようになった。
パン焼き機も買った。根が凝り性なのである(笑)。
最後に作ったのは、4年前のことである。遠くに旅立つ息子と一緒に作った。

先日ピザを手作りする方のnoteを見て作りたいなと思った。

昨日妻と大喧嘩して、腹立ち紛れに「閉店間際のスーパー」に行ってイースト菌と強力粉にチョリソソーセージを買ってきた。

せっかく材料を買ったので、今日は朝からフォッカッチャを作った。
心の地下室から小麦粉料理の本を取り出して作り出した。何度も作ったので力を入れる所と気を抜く所、細かいコツを思い出しながら少し「ヒネった」のだ。大事なことは、教科書には書いていない。

人生の終わりには『自分の教科書』が出来上がる。

一次発酵は大きめのボールを使い湯煎する。熱めのお風呂くらいの温度でいい。30分くらい。
チョリソを埋め込むと美味しい。味がにじみ出てパンに入っていく。
軽く空気を抜いてすぐに焼いてしまう。二次発酵はしないことにした。
小ぶりに作ることにした。
バットにオイルを塗って並べて上にも塗る。パリッと仕上がる。
歴史を感じる。少しずれているのと老眼で見えないから温度の指定はいい加減である。
ベンチレーションで熱風が温度管理に強い。ガツンと温度が上がる。ピザを焼くときなどは最高である。さすがイタリアの市民に愛されているだけの事はある。まだまだ使えるのが凄い。
5分ごとに上下、前後を変えて20分くらい焼いた。
友人に新築祝いに買ってもらったタイツの皿。もう15年である。
虎視眈々である。目を離すとこの距離ならやられる。確実である。
2つ食べちまった。心がとろけるのである。
沢山出来ることはわかっていた。僕も妻も炭水化物を少し自粛中なので少しだけ食べた。残りは娘用と妻のパート先のスイミングプールに持っていくことにした。こちらは、僕のシステムを使ってくれてホームページも発注してくれた。支配人、コーチ・スタッフはいい友人である。
泳いできてから、少し食べた。


夜は、すき焼き風の豆腐の煮付け。
昆布の煮付け
随分食っちまった。まだ食いたい。

#デロンギ
#フォッカッチャ











ボールは沢山あったほうが良い(笑)。


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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。