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昆布巻きを作った。松井商店さんの昆布巻:グローバリズムの頃の僕

父の実家は乾物問屋だった。三之町と呼ばれる食品の問屋街の一角にあった。

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巻昆布という昆布に鮭の頭を切ってくるんで煮付けるのだ。圧力鍋でやっったことも有るが、コトコト煮込んだほうが美味い。

北の産地から来た海産物を小売していた。背負子と言われる「ざい(田舎の集落)」の小売店の人が毎朝仕入れに来る。冬は鮭の季節である。塩引きの鮭は塩抜きをされて、ある程度の塩っぱさのままに風乾され売られる。

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水でふやかして巻き昆布を使う。干瓢で巻くのだが僕は好きではない。

店先に鮭が吊るされて並んだものである(注)。もはや誰も買わないから本当にわずかしか店頭には並ばない。家でも作らない。

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目玉があったので入れた。こっちを見ておる。DHAなどサプリで摂る必要はない(笑)。

松井さんは、父の同級生だった。30メートルくらい離れたところにお店があって、少し貯蔵の効く商品を売っていた。

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砂糖のたっぷりはいった濃い味のでにつけるのだ。

毎年美味しい昆布巻きを食べることが出来た。平野屋でベーコンを作っている頃は冬になると買いに行った。平野屋の材料なども松井商店さんから仕入れていた。

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今日、松井さんのお店に行ったのだが、もう3年作っていないという。っ随分ご無沙汰していた。

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4時間位コトコトとやるのだ。

松井さんにはとても悪いことをした。平野屋で仕入れていた葛粉を安いからと行ってネットで仕入れを始めたのだ。

これは間違いだった。今でも後悔している。

グローバリズムとは、安いところから買って高いところに売るということだ。

地域のお店同士で、共に生きるという考え方を僕は出来なかったのだ。

間違えだった。顔の見える関係の中にBtoBが有るべきだったのだ。問屋さんの意味を忘れてはならない。

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ぼくの昆布巻きなんぞは足元にも及ばない。でっかいストーブの上にでっかい鍋を乗せて一日煮込むのだ。水を足しながら出来上がった味は最高なのだ。


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スーパーの風景である。寂しい限りである。しかし、悲しむには及ばない。世界は変わるのだ。

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2011年の風景である。もうこんなには並ばない。

この10年でいかに多くの年寄が世を去ったかが分かる。うちも買うことはない。スーパーで小分けにされたものを買うのだ。

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。