「帽子鉄板焼」は最高の調理プロセス:美味しさが証明している。
「ジンギスカン」というのはアジア大陸の英雄である。彼の名を「焼いて食べる食事方法」に冠するのはあまりよろしいことではない。
「もし、モンゴル人がウランバートル市内に『テンノウ焼き』や『テンノウ揚げ』という料理を出したら日本人はどう考えるのか」(楊海英さんの記事である、僕は大好き)という問いかけにどう反応したら良いのだろうか?
そこで、別な名前を考えることにした。「帽子鉄板焼」と言う名前はどうだろうか?
ん、あまり良くないか。
昔は「トルコ風呂」と言う看板が町中にあったものである。数回訪れたことがあるが、もはやその名前ではなかった。アタリマエのことではあるがやっぱり僕も「ヒト畜生」である。マイクロバイオームが僕を統べているのだ。この羊の肉を食べる料理にも別な名前をつけたいものである。
「帽子鉄板焼」は無理でも誰かいい名前を考えてみようではないか、「山高帽焼き」「チロルハット焼き(ん、これも駄目か)」いかん、帽子から離れられない(笑)。
羊の肉を使わないと「帽子鉄板焼」は駄目だと思う人もいるだろうが、それは間違えである。あれだけ「厚い鉄板で肉を焼く」と言うプロセスは、食材の中の生命を大事にしているのだ。野菜も切ってそのまま焼くので内なる海を大事にしている調理方法なのである。
中野のブロードウエイの奥を右に折れた辺りに「神居古潭」と言うお店があった。そこで僕はこの調理方法と出会った。随分昔に「帽子鉄板」は買ってあったのだが、久しぶりに出した。今日は疲れて何もしたくなかったのである。その頃中野では、肉を食べたあとで、近くの蕎麦屋さんで、「そば焼酎の蕎麦湯割」を飲んだ。
若い頃の苦労はしておくべきである。
今日の打ち合わせはとても疲れたが、良かった。何とか人生は進むであろうか。ワインサワーと調子に乗って、ウオッカを少し飲んだ。
やっぱ、神様に怒られた。まあ、仲良く生きましょうや。
Google散策したら、すでに閉店していた。今は餃子屋さんである。看板が残っていた。蕎麦屋さんもなくなっていた。中野は思い出の街である。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。