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マダラ300円、その後:「腕の良い大工」がいなければいい家は建たない

頭と内臓は煮付けにして、身は汁にした。
朝4時である。後片付けをしながら煮込むことにした。おおよそ1時間じっくりコトコトする。
このお話の続きです。

ねえ、僕、食べられちゃうの?

アタマは半分に割って煮汁に生命を放つ。ねえ、僕、食べられちゃうの?黒目が可愛いやんちゃ坊主のようである。
内臓と皮を一緒に煮込む。

骨ごとジックリと煮込むことの価値

大きめの鍋を使い骨ごとジックと煮込む。50年前は、魚をまるごと食べたものである。私たちの父母は、貧しさの中で残すことなく食物を食べようとした。しかし、商品化された食事は「売りづらい料理」をライナップから外す。もはや、骨ごとジックリと煮た魚料理など食べることもない。

骨・内蔵から出たエキスが麩が吸い込んで食事を通して身体の海に放たれる。素晴らしく美味い。今回は少し雑味が出た。難しいものである。練習あるのみだ。

医学・栄養学を下僕とした「医療キャピタリズム」は、工業的生産が可能な物質を権威づけて売ろうとする。
「病因のない骨関係の疾患」を医学は「カルシュウムやイタミンDと言った単純な物質(工場で生産され乾燥しても有効性が変わらない)の欠乏症」と言う。既に多くの対処(商品が市場に出ながら)がなされながら「リュウマチ・骨粗鬆症・など」は減る見込みがない。「政治的に正しい栄養学」が疾病を「特定の物質」の欠乏症に見出そうとしているからである。
しかし、身体はそう単純ではない。骨は一年半でほぼ全て作り直される。内骨格の生物は、毎日のように骨を溶かし再構築する。そのプロセスは恐ろしく複雑である。
骨からジックリと煮込んだ料理は、食物連鎖の内にある代謝系を食事の内に持ち込んでくれる。

「腕の良い大工」の仮説

骨の分解と再生について僕はジャングルジムに子どもたちが登っているイメージを僕は持つ。その子どもたちは、一本一本の鉄の棒を外し(破骨細胞)たり、新たにつけたり(骨芽細胞)する。
数え切れない細胞は。全身の骨を溶かして、再構築する。それも全体の設計はないのである。脳からの司令で動いているわけではない。身体中の骨は溶かされ再構築されながら新たな身体の形を探す。凄いメカニズムなのだ。「成長痛」「五十肩」骨関係のトラブルはいつも起こり、いつの間にか消えることも多い。しかし、「歳とった時の節々の痛み」はQOLを著しく下げる。

医学・栄養学は「カルシュウム(材料)」の不足のモデルである。僕はこれらの溶かし再生する細胞と制御システムのトラブルと思っている。
それは、いくらいい材料(カルシュウム・ビタミンD)があっても腕のいい大工(代謝系:破骨・骨芽細胞と制御する因子)が動かねばいい家が建たないということだ。
そして僕らはその代謝系の要素を食物連鎖のうちから受け取っているというものである。あまりに多く複雑な要素が絡んでいるので特定の単純な物質に還元できない。商売のネタにはならない=研究者が考えるわけがない。

この50年で失われた食事のメソッドの内に原因があるのだと考えるのは良い筋だと思う。


夜はタラ鍋

身は鍋にした。白菜とネギに椎茸。タラの身はじんわりと美味しい。
澄んだスープは美味しいものである。薄口の醤油味が好きだ。
今日のお裾分けである。土鍋焼きリンゴは美味しいデザートである。
Sさんお笑顔がこの食事の価値である。


#腕の良い大工
#タラ鍋

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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。