メタモルフォーゼする身体、低血糖、トマト、サンドイッチ、
メタモルフォーゼというのは身体の構造が変わり(臓器の不全)、それに伴って食事が変わる現象を指す。そもそも生命は「壊れ物」である。
毎日のように新たに生まれ変わる細胞は「そのコロニーのうち」に永遠の命を求めているわけではない。学者の方々は「100年生きる」などという馬鹿なことをお偉い方は言う。高度医療と管だらけにされて病室で生きてもいいことなど無い。ピンコロに人生の終りを迎えたいものである。
外骨格の生命は大きく生活圏を変えて異なった食物連鎖に生きる。雑食でない生命(肉食・草食を問わず)は異なった食物連鎖の中では生きれないので寿命が短い。渡り鳥を考えれば同じ食物連鎖のレンジで生きるために山を超えて海を渡るが寿命はさほど長くはない。食事を変えることが出来なければそのコロニーは「行き止まり」となる。
それらに比較して、雑食の生命(主としてヒトと家畜)は食べ物の好みが変わり、異なった食物連鎖のレンジを作り出すことが出来る。
ヒトは「家族」という「食事を作るコロニー」で年齢に従って「食事=世界」を変えて行くことが出来たのだ。
そして、そのコロニーでの食事作りは実に巧みで個別の「身体」に微調整差されたものであったのである。1980年代の食事の商品化の流れが生まれるまではであるが........…。
今日は随分ひどい状態であった。足の方は良くなってきたのだが喉の奥がひどい、痰が絡んでいるが辛い。老人である。寝ている吐息が苦しくて死ぬのではないかと思うのだ。血糖値を測ってみて驚いた80mg/dlである。
血糖値を測っていた頃から見てもこれだけ低かったことはない。
この息苦しさの原因はブドウ糖をどんどん使われている身体の状態に対応しているのだ。「低血糖(検査値)」は単にその瞬間の身体の状態を記述しているだけである。検査値は「原因」ではない。
大きく身体全体が組み変わっている。何よりも最低の血糖値のラインが変わってきている。酒を飲みたくないというのも驚きである(笑)。
おそらく昨年の夏くらいからのことだろう。いっきに16kg体重が落ちて食事の好みも変わった。
「歳を取る」ということをあたかも「病」のように扱うのが「政治的に正しい医学・栄養学」のやり方である。
病というのは「感染症」「中毒症」「欠乏症」の3類型にあたるものである「症状」だけの身体の状態は何らかの身体のコロニーの変化に対応しているのだ。
症状はメディカルキャピタリストにとっては飯の種である。薬や高度医療は症状を軽くする手段で富を稼ぐ。頼りたくなるのは当たり前である。誰でも苦しいのは嫌だ。しかし、どこかに線を引かなければならないのだ。
身体というコロニーは常に世界を反映して姿を変える。マイクロバイオームの入れ物でしか無いのだ。
2023/06/02
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。