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平和な夜であった。2022年1月8日のタクワン

ふと横を見ると、マユが寝ておる。年始の挨拶に回り、打ち合わせして、食事作りである。2022年もバタバタと始まっておる。

まだ早いが、半分くらいはタクワンである(笑)。今くらいが一番面白い。甘さとしょっぱさが混じり合っている。

タクワンが漬かりつつある。

重しはもう少し残しておいたほうが良い。水が上がり、タクワンらしくなる。ドブ漬け(漬けないで切って入れた追加の大根)は平たくなっている。干したタクワンは水が抜けながら味が入っていく。中心は大根だが、外側からタクワンになっていく。

柿の皮と根布、今年は甘く漬かっている。結構美味しく出来た。母は皮を向いて中だけ食べていたものだ。このタクワンを食べると売られているものは食べれない。名前は同じものでも、中身はまるで違う。

しかし、どうすれば伝えられるのだろうか?
オマケに作り方さえも綺麗に失われてしまった。料理はマニュアルでは伝えられない。味を共有しなければならない。

超時って味わってみるのである。

この樽の中には、世界の人口などより遥かに多い生命が満ち溢れている。食事とは、私という生命のコロニーに生命を迎え入れることなのだ。
訳知ったような連中は「人と細菌(ウイルス)」の『共生』などというが、ヒトは生命の主体ではない。人の「細胞」と、数しれないマイクロバイオームは「身体というダンスホール」ではダンスして、愛をかわしているのだ。セックスも同じである。ああ、料理くらいあっちも上手になりたいなあ。

そんなに下手なの?ん?

僕が進めているのは、「食事の価値」を見直すことである。金では生命は買えない。
売られている商品は、利益を出すために名前は同じだが、まったく違ったものなのだ。そして私達に辛い人生の終わりをもたらせる。フードキャピタリストには特注のレストランが待っているから、金持ちは健康である(笑)。世の中は不公平である。今に始まったことではないが。
昔は糖尿病は贅沢病であったが、今や貧困の病である。カップ麺や立ち食い側に牛丼に回り寿司、お、僕の好物ばかりである。

イワシが安かったからワタ抜いて煮付けた。今年の梅干しを入れた。考えてみると初めてである。
青梗菜のクリーム煮である。鳥を湯がいて、加えると美味しい。
今日のおすそ分け。鳥のレバーの煮しめ、ワカサギの天ぷらは揚げたて絵ある。米油を使った。
Sさんの調子もいい。ぼくが86歳になった時にこういう夕食が食べれると嬉しい。

母の友人のSさんに毎日話を聞いている。母にもっと色々なことを聞いておけばよかったと思う。無事生き延びれたら、この日が自分にも来るのだ。皆に来る。

僕の食事はピンコロの人生のお終わりを探す長い旅なのだ。

僕の晩ごはん、蕎麦茹でて、大根おろした。質素で金がかかっていないが、じんわりとした滋味があり嬉しい味である。


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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。