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10年待った「朝日」は、33年求めていた「朝日」でした。「朝日のような夕日をつれて2024」について。


諦めながら10年待ち続けたら、とうとうこの日が来ました


2014年9月13日、サンシャイン劇場。
他のお客様といっしょにスタンディングオベーションをしていた私は、
拍手をしながら、「これが生で観れる最後なのかもしれない」と
感じていました。
おそらく、会場にいた9割の方が同じように感じていたと思います。

10年経って、2024年の2月。
「新メンバーで、「朝日」を上演しますと宣言があった時、
私はマジで鳥肌が立ち、(仕事中だったので)心のなかで絶叫し狂喜乱舞しました。


10年ぶりの再演はもちろんですが、
なにより「新メンバーでの上演」という文言に、
ワクワクを抑えることができなかったんです。
そしてその中に、「一色洋平×小沢道成」で大好きになった
(そして演劇人きっての「朝日ファン」である)一色洋平さんが
入っていたこと。

1ファンとしての不安要素はありませんでした。
そりゃ「ついに大高さんも小須田さんもいない朝日がやってきたか…」
という寂しさはありました。
ただ、人生いつかは世代が変わる。
むしろ日本に沢山いるはずの「「朝日のような夕日をつれて」に
人生を狂わされた人々」の一人として、
「新しい「朝日」が二度と観れない」ことのほうが、よっぽど寂しいのです。

ルービックキューブからオキュラスリフトまで、
時代とともに変わり続けた「朝日のような夕日をつれて」は、
今の時代を映す鏡として、「伝説」ではあれど「古典」では決してありません。

鴻上さんが今回の朝日について最初に語った言葉。
「とうとうこの日が来ました」
この一言が、どれだけ嬉しかったことか!!!

私は「2024年の、コロナ禍を超え世代交代を果たした「朝日」がどのようになるのか」、
とてつもなくワクワクしながら必死にチケットを予約し、
初日とほぼ中日と千秋楽の、3枚のチケットを握りながら、
(千秋楽はさすがの人気で一旦外れたのですが、ありがたいお話を頂いて譲っていただけました!)
半年待ち続けました。

2024年8月11日。19時。

囁きの時点で、私は涙が出てました。
17年待ち続けた、2014年の時だって泣かなかったのに。
これが年を取ったということなのかな。

そして始まるあのダンス。そして群唱。
何度ひとりで真似して踊ったことか。何度ひとりで唱えたことか。
今、眼の前で若手の実力者たちが唱えている。
若返った「朝日」が始まった。

涙はあっと言う間に吹き飛んで、いつの間に大笑いして、鳥肌立たせてました。
あっという間の2時間。
気がついたら、初日で立ち上がって、力のかぎり拍手してました。

求めていた最高の「朝日」が、ここにあった

※ここからネタバレが始まります。大阪公演で初めて見る方はご注意を!


私が何より一番嬉しかったこと。
それは、この作品のメイン・テーマである
YMOの「The END of ASIA」がオリジナル・バージョンで流れたことでした。
前回の2014年はリミックスが入ったバージョンで、
軍唱ダンスも紗幕が前に入って映像演出とかぶさる形で展開されてて、
あれはあれで凄くかっこよかったのですが、
今回は「原点回帰」とも言うべき一番シンプルで、
「いつもの朝日」に戻っていたのです。
これが、私としては本当に嬉しかった!!

そしてオープニングから物語が進むにつれて感じたのは、
この「朝日のような夕日をつれて2024」は、
前回の「2014」年の時に感じた「お祭り感」はなく、
「81」「83」「85」「87」「91」「97」の流れに続くよう、
極めてソリッドに「「朝日のような夕日をつれて」の再起動」を目指している
のではないかと。

「2014」のときほど映像演出や舞台装置は凝ってなくて、
その分5人の役者たちの見せ場が強調され、
LED演出も思ったよりも少なめで、作品を理解する補助としての役割に終始してるような印象でした。
使われてた楽曲も、今回は実に「鴻上さんらしい」選曲だったなと思います。

5人の役者の動きのキレキレっぷりは観てて安心感すら覚え、
「あぁ、そうそう!これなんだよ!これこそ「朝日」なんだよ!」
って、2時間の間に何百回もうなずきまして。
特に今回の功労者は、何と言っても一色洋平さんでしょう。
我々「「朝日のような夕日をつれて」に人生狂わされた者たち」の代表として、
「お弁当のバラン」どころか、要所要所を締める実は重要な役なことを再認識させてくれて、変幻自在に役を変えられる彼の真骨頂を堪能させてもらいました。
はっきり言って過去一番の「少年」でした。
リンダリンダちゃん、ドキドキしてしまうくらい可愛かったです!
そして最後の「ストップ!」のセリフ、これまでの少年役はもっと勢いよく放ってたと記憶してるのですが、
本当に皆を「止める」ように静かに放つのが、とても印象的でした。

玉置玲央さんのウラヤマ/部長と、小松準弥さんのエスカワ/社長のコンビは、
どうしても「大高・小須田」コンビと比較されてしまうのは避けられないのだけど、
開始10分でその心配は杞憂だったことを感じされてくれ、
このコンビネーションを思いっきり広げてくれました。
ウラヤマ・エスカワとしての最初の掛け合いでふざけるシーン、本当に楽しそうでしたし、
「休憩時間」の掛け合いも優しく癒やされました。

安西慎太郎さんの「研究員/ゴドー1」は過去に勝村さんだったり、筧さんだったり、藤井隆さんだったりと芸達者な方が演じてきましたが、
決して負けることなく「2024年のゴドー1の決定版」を作ってくれたと思います。…ほんとに普段「暗い芝居」ばっかりなのですか?😅

実は8月21日に2回目の観劇をした時、座席が「A列6番」だったのですね。
紀伊國屋ホールのこの席は知る人ぞ知る「ゴドー1初登場時に「貴方は誰を待ってますか?」とインタビューされる席」でして、
私もしっかり安西さんにマイク向けられまして、頭が真っ白になりなんにも答えられずにいたら、「いつまでも待ちますよ!(笑)」と粘られ、
3回ぐらい待たせてしまい、絞り出した答えが「…奥さん💦」だったのが、
もっと面白い答え出せたんじゃないかとその後10分ぐらい舞台に集中できず、
今でも悔やんでおります(笑)

稲葉友さんの「マーケッター/ゴドー2」も素晴らしかった…。
稲葉さん声が低めなので、早口なツッコミが多いゴドー2がぴったりなんですよね。
あの「トランシルバニアのサミーが死んだ」の長ゼリも物凄くかっこよかったんですけど、
個人的にはその後のシーンでの「ぶー!失格最低最悪変質者!」のツッコミシリーズがめちゃくちゃ好きでした(笑)

今回「おっぱいゲーム」とか結構下ネタ系が多くて(多分2014より多かったはず)一部賛否出てましたけど、
個人的にはこのメンバー、この若手陣だからこそそこまで下品にならずできたんだと思います。
年を取ると下ネタに対して品がどうしても下がってしまうけど、
このメンバーであれば「男子中学生の憧れる下ネタ」を保ててるんじゃないかと(それでも勿論拒否反応出るのは否めないですが)。

30年前に早くもヴァーチャル・リアリティを提示し、
その6年後に「ネットで繋がる」ことに未来を感じた…はずなのに、
その「繋がる」ことが当たり前になると次第に歪んでいって、
逆に「濃密な繋がり」が「分断」を生んでしまい、
30年経ったら、「人間でないもの」に救いを求めるようになっていた。
この流れは、誰にも想像つきませんでした。
「メタ・ライフ」で見せた「AIと人間の新しい関係性」をどう受け止めるのか、
ひょっとしたら、「メタ・ライフ」は「リアル・ライフ」や「イデア・ライフ」、「ヒール・ライフ」や「ソウル・ライフ」よりも「現実的な未来」なのかも
しれない。
私達は、本当に「神様を作ろう」としているのかもしれない。
それが希望なのか、絶望なのかはわからないけど。

だからこそ、次の「朝日」は10年後では間に合わないと思うのです。

大好きになったからこそ、どうしても悔しかった、たった一つの問題


最初に書いたように、
「朝日のような夕日をつれて」は現代を写す鏡だと思ってます。
だからこそ、17年ぶりに復活した「2014」に私はとても喜び、
そして終わったあとに寂しさを感じました。
常に変わり続ける宿命の「朝日のような夕日をつれて」は、
それ故21世紀にはどうしても上演のハードルが上がってしまう。
ひょっとしたらもう二度と観れない「古典」になってしまうのではないかと。
そうなるのが、とても悲しかったです。

90年代の小劇場ブームの時代の人たちがほぼ還暦に近くなりました。
つかさんをはじめ、鬼籍に入られてしまった方もいます。
三谷さんや野田さん、いのうえさんや松尾さんなど当時からの人気作家は
もはや本人が望んでなくても「重鎮」の枠に入れられてしまい、
競争率的にも金銭的にもチケットを取るのも大変になり、
恐れずに言うならここ数年の「演劇」は、
若い人たちがおいそれと触れ辛くなった、
「余裕のある人たちの愉しみ」になってやしないかと、危惧していました。

そんな中で鴻上尚史さんは若者たちと「虚構の劇団」を立ち上げ、
残念ながら劇団は解散してしまいましたが、「ぽこぽこクラブ」や「EPOCHMAN」などにつながっているなど、
今の若手たちと積極的に繋がり、一緒に紡いで行こうとしてくれてます。

「朝日のような夕日をつれて2024」は、
そんな鴻上さんのこれまでの想いがあったからこそ、
我々が体感したあの熱狂と想いを、「今の演劇人たち」に伝えるための
最高の作品となってたのです。

だからこそ、私はとても悔しかった。
この作品を、もっともっと「今の若い演劇人たちに観てほしかった」、と。

3回もチケット取って観に行った私が言うなよ、と非難を承知で言うなら、
「2024」を観ていた観客は、私と同年代かもっと上の、
「これまでの朝日を観てきた世代」が中心でした。

90年代のあの熱をいまだに覚えていたからこそ、
17年たった「2014」のお祭りを存分に楽しみ、
更に10年たった「2024」をあの頃以上に楽しめた、
時代を超えて楽しめる作品に出会えている我々は、
とても幸福だと想います。

だからこそ、
だからこそ、今回の「朝日のような夕日をつれて2024」は、
もっともっと若い世代が観るチャンスがあればよかったのに、と。

初日時点で東京公演のチケットは完売。
そのチケット代も9800円と、決して気軽に出せる値段ではなく。

勿論今の世情に踏まえていれば、どうしてもチケット代は高くなる
(朝日に限らず、チケット代が1万円クラスの演劇公演も普通になってきました)
のは承知してます。
「U−25チケット」などの施策も用意してるのもありがたいなと思います。
出せる人はチケット代ちゃんと出して、若い人を優遇して欲しいと思います。

だけど、それでもやっぱり若い人が観るチャンスが少ないのが
どうにも歯がゆくて。
せめて「配信」とかでもやって、
特になかなかチケット代も出しづらい世代の人達など、
もっと色んな人が気軽に見れるチャンスを作ってほしかったんです。
今の若手実力者が集結して復活したのであれば、
「朝日のような夕日をつれて」という時代と変わる物語こそ、
「金持ちの道楽」で終わるのではなく、
これからの演劇を担う世代が触れる機会をもっともっと沢山作って欲しい、と。

「朝日」の2024年を観て、
いつか「朝日」に出演できるように頑張ってきました!と、
「次の一色洋平」を沢山たくさん、生み出して欲しい。
「第三舞台」という枠から初めて完全に外れたこの「朝日のような夕日をつれて2024」には、
これまでの「朝日」とは異なる、「未来への力」を感じたんです。

21日に観劇した際、私は思い切って鴻上さんに握手しに行きました。
この2024がとてもとても素晴らしかったから、どうしても直接感謝したかったのと、
「どうにか若手に見せる機会、作れないですかね?」と伝えたくて。
鴻上さんも「チケット完売しちゃったし、難しいよね…」と、こころなしか少しさびしそうに見えました(わたしの主観ですが)。

今回の「2024」を初めて観た若いお客さんの、SNSでの感想を沢山観ました。
「よくわからなかったけど、すごく衝撃的で素晴らしかった。心に残り続けてる」という声、たくさんありました。
それは1991年に私が初めて紀伊国屋ホールで観終わったあと、席で動けなかった時に感じたのと同じ感想でした。
「2024」を観た若者たちが、「次の「朝日」」につながっていくことを切望してやみません。

10年立ち続けた、33年立ち続けられた。僕たちは、これからも立ち続けられる

2024年8月の、1ヶ月に満たないこの幸せな祝祭はあっという間に終わってしまいました。
けど、この祝祭に集ったみんなは、きっと確信したはずです。

「朝日のような夕日をつれて」は、これからも続いていく。

千秋楽、アンコールでのスタンディングオベーションがあっさり終わりました。
それは「次もある」と観客が確信した証なのではないかと思っています。

だからね。鴻上さん、そしてスタッフの皆さん。
こんな最高な「次世代の「朝日」」を魅せられてしまったら、
我々はもう10年も待てないからね?!
「紀伊国屋ホール開業70周年記念」まで別に待たなくて良いんだからね?
「65周年」だって良いんだし、何なら「63周年」とか中途半端でも全然おっけーなんだからね!

2024年のニューメンバー5人は最高の組み合わせでした。
だから、私達はもっと欲張ろうと想います。
もっとたくさんの組み合わせが観たい。
演劇界の新世代のきらめく人たちが、「朝日」を楽しそうに演じるのをもっと観たい。
私達が若い頃に「目標」になったように、「朝日」が2024年の新世代の目指す目標になって欲しい。
「朝日のような夕日をつれて」を通じて、日本の演劇界がもっと楽しく希望に満ちたものになって欲しい。
何なら「福田雄一さん演出の「朝日」」も観たいし、鴻上さんがプロデュースする鴻上演出以外の「朝日」だって観てみたい!!
更に言うなら、大高さんや小須田さん、筧さんがもう一回出演する「朝日」だって、「2024」を観たあとだったらあっても全然いいと思えたんです。
そんな「朝日が縦にも横にも大きく広がる瞬間」を、
2024年8月に紀伊国屋ホールに居た人たちは、感じ取ったと思ってます。

完全に再起動を果たし、
息を吹き返した「朝日のような夕日をつれて」なんだから、
もっともっとみんなで「遊びたい」し、「遊んで欲しい」んです。

こんなに希望に満ちて、欲張らせてもらいたくなる作品に出会えるとは。
頑張って生きててほんとに良かったと想いました。

だから、今頑張ってる演劇人の皆さん、
まだ大阪公演は見れるチャンスがあります。
12月にはDVDがでます。
どうか、どんな形でもいいから触れてみてください。

どうかぜひ、どんな形でもいから触れてください。
私は、私達はこの先も、「古典」でも「伝説」でもない、
あなた達の作る次の「朝日のような夕日をつれて」がたまらなく、
心の奥底から観てみたいのだから!

鴻上さん!
何度だって言いますが、「2034」までは待てないですからね!
せめて「2029」でお願いしますよ!
その時は、「少年役じゃない一色洋平」もお願いしますからね!!


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