運命の一冊、おじいちゃんの形見 ep1
あらすじ
ある日ある場所の小学校、五年三組の国語の授業。
『運命の一冊』を語る作文発表の授業が始まった。教師があらかじめ作文に目を通し、朗読する生徒を指名する。主人公の少年も指名され朗読を始める。少年が語る一冊は祖父の形見の本のことだという。
祖父の集めた数々の奇書。お気に入りの一冊はラテン語で書かれており、祖父は翻訳途中で他界。少年はITを駆使して翻訳を引き継いでいると語る。翻訳を進めるうち、なんとこの本は魔術書ではないかと少年は推測するに至ったというのだが――
1.国語の授業は作文の発表会
五年三組五時間目、国語の授業は宿題の作文発表会。
先週、鈴木先生が出したお題に沿って、作文を書くという宿題。
「どんなものでも構わないから、君たちがこれぞ自分の『運命の一冊』だと思える本のことを書いてきてね」という内容だった。
クラス全員の作文を読むには、当然時間が足りない。提出された宿題を、鈴木先生が下読みしてから選びだし、書いた本人が読むということになっていた。
誰の作文を、何を基準に選ぶのか、授業の前に教えてはくれない。
コンクールでもあるまいし、点数も特につけないから、きっとほとんど先生の趣味で選んでいるのだろうなと、僕は思っている。
温かな午後の教室、同級生の朗読を聞くだけだから、眠そうにする連中も多い。
もう三人ぐらいが読み上げたけど、どれも僕には退屈で、危うく居眠り仲間に加わるところだった。
二人目で読んだマンガ好きの女の子、河内さんが少年マンガの話をしだしたのは、ちょっと面白かったけど。一冊じゃなくて、百冊越えの大長編。海賊になって世界の海を股にかける、海洋冒険モノだったかな? 僕が生まれる前から連載している作品だから、長すぎて読んだことがない。アニメ版もよく見たことがなかった。
まあ、ひとつのタイトルという意味にして、先生も大目に見たのかなと思う。だいたい、宿題の作文に没を出すだなんて聞いたこともないしね。
僕はと言えば、今日この時間を、心待ちにしていた。退屈な朗読に寝落ちしなかったのは、この気持ちがあったからだった。
今日は僕の、ちょっとした秘密の発表会も兼ねているのだ。
「じゃあ次、明山ぁ。読んでー」
鈴木先生が、僕の名前を呼んだ。
僕が書いた作文は、おじいちゃんが残してくれた形見の本の話だ。
みんなは指されると緊張するみたいだけど、僕は声が大きくて良く通るほうなのもあって、朗読には自信があった。
堂々と立ちあがり、作文用紙をまっすぐ手に持ち、大きな声で宿題を読み始めた。
「『運命の一冊、おじいちゃんの形見』。五年三組・明山相俊。
僕の運命の一冊は、おじいちゃんの部屋で見つけた本です。
おじいちゃんは、世界中からいろんな本を集めていました。専用の部屋を用意して、本棚にぎっしりと本を並べていました。まるで図書館みたいです。
僕の家は、おじいちゃんの家と僕の家での二世帯住宅です。僕はお母さんとお父さん、妹と、猫のニャアちゃんの四人と一匹暮らし。おじいちゃんはひとりで家にいて、夕食のときだけ僕の家に来ていました。
おばあちゃんは、僕が生まれる前に病気で亡くなったそうです。
不思議な本がいっぱいありました。図鑑や絵巻物には、ゲームや映画でしか見たことのないドラゴンやスライムみたいなのとか、マンガやアニメでも見たことないデザインの生き物がいっぱい描かれていて、いくら見ても飽きません。
あんまり面白いものだから、こっそり自分の部屋に持って帰ろうとして、おじいちゃんにすごく怒られたことがあります。『この部屋の柱に貼られたお札の外から出してはいかん』とか、言ってたと思います。
大昔の漢字や、今では使われなくなった民族の文字で書かれた本もありました。おじいちゃんはとても博識だったので、なんでもスラスラ読んで聞かせてくれました。
おかしなこともあって、僕がある本に興味を持って『これを読んで』とせがんだら、『これは声に出して読んではいけないよ』と言われたことがありました。見たことのない厳しい顔をしていたので、僕は二度とお願いをしませんでした。
大好きだったおじいちゃんだけど、こないだぽっくり、死んでしまいました。夕ご飯を食べてから、眠くなったよお休みと寝てしまい、そのまま起きてこなかったです。
それまで元気に、朝も早起きをして近所の公園でラジオ体操をしたり、毎日必ず一万歩散歩をしたりして、かくしゃくとした人だったのに。
享年百四歳の大往生だと、お父さんが言ってました。
お葬式を済ませたあと、お父さんやお母さんは、おじいちゃんが残したものの整理で大忙しでした。山のようなおじいちゃんの蔵書の数々も、トラックに積みこんで処分されてしまいました。
二度と手に入らない貴重な本が沢山あったと思うけど、汚い古本や、読めない字で書かれたものがほとんどで、コマーシャルで有名な古本屋さんに売ってもチリ紙代にもならないとか、文句ばっかり言っていました。
処分される前に僕は、おじいちゃんが特に大切にしていた本と、僕のお気に入りを先に持ち出して、ダンボール箱に詰め込み、押し入れの奥に隠してしまいました。持ち出した本や絵巻物の中には、部屋から外に出してはいけないと言われたものもあったけど、仕方がありません。
部屋から持ち出すとき、地震でもないのに大きく家が揺れて、部屋の空気が冷蔵庫の中みたいに冷たくなったことには、びっくりしました」
ここまで読んで、僕は教室を見渡して様子を伺った。
なげえよとか、オカルトかあ? などと言うヤツらがいたけれど、言われるだろうなと思っていたので気にもならない。だいたい、全部本当のことだからだ。
信じようと信じまいと、僕にはどうでもいいことだった。
一息ついてから続きを読み始めた。ここからが、本題なのだ。
「大切に隠した本のひとつ、薄く赤茶けた動物の革で装丁された、ところどころ赤黒い染みが付いている薄気味悪い本。僕のお気に入り、運命の一冊です。
おじいちゃんはこの本のことを『人間の皮を鞣して作った表紙なんだぞ』と、真面目な顔をして言ったことがあります。でもきっと、僕のことをびっくりさせようとして、冗談をとばしただけだと思います。
分厚くて、辞書みたいな大きさの本です。こっそり妹に見せたら『ぎゃあ!』とすごい声で叫んで怖がったことがありました。僕は妹の驚き方のほうが怖かったくらいです。
家族に見られて脅かしてはいけないと思ったので、僕はいつでも肌身離さず『運命の一冊』を持っています」
じゃあ、今も持ってるのかよ? とぶつくさ言うヤツがいた。いつも僕に面倒をかけてくる、山崎だった。
そんなに焦らなくても、あとでちゃんと見せるから楽しみにしててよね――。
「ラテン語という言葉で書き写した本だそうです。おじいちゃんは、いろんな人が訳した歴史があって、原書は大昔のアラビア語で書いてあったと教えてくれました。
おじいちゃんはラテン語も読めたので、日本語に訳した本を手書きで残してありました。途中で死んでしまったから、まだ半分くらいまでの書きかけです。
残りの部分は僕が自分で訳しています。ラテン語は読めないけど、お父さんに貰ったスマートフォンでページを写真にして、ネットの翻訳サービスにアップロードすると、ちょびっと“てにおは”がおかしくなるだけで、ちゃんとした日本語にしてくれます。
僕は国語の勉強のつもりで、ネットの訳を自分で直して清書して、おじいちゃんの残した仕事の続きを作っています。まだまだ訳していないページがあるけれど、これは僕のライフワークだと思っています。
この本にも、空想世界の化け物の絵や、魔法円や呪文の類が沢山載っています。他の本と違って、図鑑ではなく実践的な書き方になっていました。だから最初は、オカルトの実用本みたいに創作を楽しむ人向けの本だったのじゃないかと思っていました。
でも最近は、これは本当に魔術の本じゃないだろうかと、考えています。
きっかけは、公立図書館で借りたH・P・ラブクラフトという外国の怪奇作家の小説を読んだことです。いろいろな短編小説があるのだけど、その中のいくつかに『ネクロノミコン』という魔道書が出てきて、小説で書かれた内容や設定が、僕の持っている本とそっくりだったのです。
事実は小説より奇なりと言うけれど、小説は作りものです。現実とは違います。
だから、確かめる方法はたったひとつしかありません。
僕は、訳した本の中で簡単そうなことが書かれているところを真似して、実験をすることにしました。
魔法が本当に存在したらワクワクするし、嘘なら何も起こらないただの遊びで終るから、何も損がないからです」
日が陰り、教室に差した日差しが消え、薄暗くなった。夜にかけて雨が降ると天気予報が出ていたことを思い出す。教室は、すっかり静まり返っていた。
「明山、アタオカすぎでしょ」と、山崎がいった。まあ、普通の反応かなと思う。
興味津々という態度の友だちもいる。僕に顔を向けて固まっている人、身を乗り出して聞いている人もいた。マンガ好きの河内さんはすっかり身体を僕に向けて、続きを催促する顔をしていた。ぽうっとした視線を向けられて、僕はちょっと気恥ずかしくなった。
咳払いをひとつして続きを読みだした。
「僕が試したのは、『遠い世界の真黒き者』という異世界の小動物を呼び出す方法です。
材料に動物の死骸が必要だったけど、ちょうどミャアちゃんが咥えてきたネズミの死骸があったので、それを使いました。
お母さんはミャアちゃんにすごく怒っていました。ミャアちゃんは褒めてほしくて仕方がないのに可哀そうです。すぐに捨ててきなさいと言われたけど、僕は『これは丁度いいや』と思ったので、捨てずにビニール袋に入れて自分の部屋に隠しておきました。
本には生きた命も必要だと書いてありました。でもさすがに用意ができないので、諦めました。生贄がないと、完全に呼び出すことができないみたいです。
呪文はラテン語で唱えます。自分では発音が難しいので、ネットの音声AIサービスを使ってあらかじめ録音しておいたものを使いました。これなら儀式で何かあっても問題なく呪文を唱えられると思ったからです」
儀式のくだりになって、同級生たちは興味を持つ人、怖がる人、馬鹿にする人に、いよいよはっきりと分かれていった。
怖がりの田中君は、耳を塞いで机に突っ伏している。山崎は相変わらず馬鹿にした顔をしていたけど、眼に恐怖の色を浮かべているのを僕は見逃さない。河内さんは、すっかり崇拝するような目で僕を見ている。可愛らしくて、たまらなかった。
「儀式の実験は、夜中にやりました。いわゆる丑三つ時です。
まず床の上に、木炭で小さな魔法円を描きます。真ん中にネズミの死骸を置きます。魔法円の横にスマホを用意して呪文を再生しだすと、風も吹いていないのに部屋の窓がバタバタと打ち震え始めました。儀式は本物なのだと確信しました。
魔法円の輪郭が、赤く光り出しました。
これが合図だと、本には書いてありました。
僕は緊張しながら、指先に少しだけ針を刺して傷を作り、ネズミの体に血を数滴たらしました。するとどうでしょう、魔法円の中が渦を巻いて小さな風を起こし、ネズミの死体が排水溝に吸い込まれる水みたいに、消えていくではありませんか!
すっかり死体が消えてしまって僕はびっくりしたけれど、何も無くなってしまった魔法円を眺めて、もしかして失敗したのかな? と少しがっかりしていました。
ふいに、床がびりびりと音を立てて震え出しました。窓ガラスもバタバタ音をたてて、僕の部屋だけ嵐と地震がいっしょに起きたようになっていました。
二階の部屋なのに、地の底から動物の唸り声が聞こえてきました。
何か来る、と僕は直感しました。
小さな黒い、ミミズみたいなものが一本、二本と次第に増えながら這い出してきて、真っ黒なイソギンチャクに似た生き物の姿が現れました。触手の先には、沢山のイボイボが付いていました。全体に濡れて光って、青黒い粘液が糸を引いていました。大きさは丁度、小玉スイカくらいの大きさです。
生き物は、ぴちゃぴちゃと粘った汁を魔法円の中にまき散らしました。魔法円の外には飛び出しません。きちんと結界が働いている証拠です。汁は床に落ちると、しゅうしゅうと音をたてて臭い煙を出します。
生き物の姿は本に書いてある通りでした。起きた現象も書いてある通りでした。『遠い世界の真黒き者』の呼び出しに、僕は成功したのです!
ちなみに真黒き者は、番犬代わりに使える便利で頼もしい、使い魔の類だそうです。
一生懸命這い出そうとしていたけれど、結局力尽きて床の中に引っ込んでしまいました。生贄がなかったから、うまく力が出せなかったみたいです。結局、自分のいた世界に還ったんだと思います。
結果は少し残念で可哀そうだったけど、実験はとてもうまくいきました。
僕はとても、うれしくなりました」
同級生の僕を見る目が、すっかり変わっているのがわかった。
それはそうだ。まさか、本物の魔法使いが同じクラスにいるだなんて、誰だって思いもしないだろう。
「明山君」と、河内さんが手をあげた。
「なあに?」
「大きな音が出たっていうけど、家族の人たちは起きてこなかったの?」
もっともな質問だ。さすが河内さん。可愛いだけじゃないなと、僕は感心した。
「おじいちゃんが部屋にお札を貼っていた話をしたでしょう? 結界術といって、外に超常現象を漏らさないようにする術があるんだ。僕はそれも真似たから、音や揺れが外に漏れることは無かったんだ」
そうなんだあ、と河内さんはすっかり納得した様子だった。もう完全に、僕の言うことやることすべてを信用しているらしい。
鈴木先生は僕らの様子を、ずっと面白そうにして眺めていた。
作文の締めくくりを、僕は読み始めた。
「将来は、もっとすごいものを呼び出せるようになると良いなと思います。
空飛ぶ生き物を呼び出して言うことを効かせれば、空飛ぶタクシーも夢ではないし、流通問題も解決できると思います。でも、飼育するためのエサをどこから手に入れるかが難しくて、そこだけ悩んでいます。
僕は魔法を使ったベンチャー企業の社長さんになって、世の中のためになる仕事をするのが夢です。世の中の難しい問題をスマートに解決する方法も、異世界から得られるに違いありません。
おじいちゃん、僕に『運命の一冊』を残してくれて、ありがとう」