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「指環」から見た「ニーベルングの指環」 Wagner column #4
ワーグナーの畢生の大作《ニーベルングの指環》 "Der Ring des Nibelungen" 4部作は、彼が35歳の1848年から61歳の1874年にかけて作曲されました。4部作完結まで26年をかけたことになります。そして上演に4日間、約15時間を要する前例のないモニュメンタルな作品が生まれたのです。
《ニーベルングの指環》 にはその長大な物語ゆえ多くのキャラクターが登場します。そしてその誰もが独自性を持ち壮大な世界観を体現してくれる存在なのです。では、物語の主人公は?と問われると、はた、と返答に困るかもしれません。神々の長ヴォータンと言う人もありましょうし、いやその娘ブリュンヒルデだと思う方もいるでしょう。英雄ジークフリートこそ主人公にふさわしいと見る方もいらっしゃいます。
そういうわけで全作を通しての主人公というのは決められないわけです。しかし視点を変えてみると、総合タイトルにあるとおり『指環』がドラマを通して関わっており、これこそ真の主人公と言えるかもしれません。そこで今回は『指環』に注目し、これがどのようにして生まれ、その持ち主がどのように変遷していったかを音楽とともに見ていきましょう。
序夜《ラインの黄金》
3人のラインの乙女と戯れるアルベリヒ、乙女たちからラインの黄金から指環を造れば、世界の支配者になれるという情報を聞きます。ラインの乙女の次女(?)ヴェルグンデが秘密を喋ります。
「この世界の遺産を我が物にできるの、ラインの黄金から無限の権力を与える指環を作りだせる者は。」
ここに初めて「指環」のライトモティーフが現れます。譜例の2段目です。
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3度の連鎖で3度ずつ下降しその後上昇、くるっと環を書くようになっているのが「指環」らしいですよね、覚えやすいです。Ring(指環)という言葉にはヴァイオリンのピチカートが付随し、"キラッ"✨という輝きが表現されます。
このモティーフは2場の冒頭に続いていき「ヴァルハルのモティーフ」に変容します。見ていただくとその形が似ているのがお分かりいただけると思います。これはワーグナー自身が自慢げに「移行の技法」と呼んだやり方で、音楽的な関連を持たせつつスムーズな場面転換が可能となっています。
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2場でローゲが皆の前で事の次第を語ります。
「あのニーベルング、闇のアルベリヒは、 水遊びする乙女たちに言い寄って肘鉄食らった腹いせにラインの黄金を奪ったのです。いまや彼にとっては、この至上の宝が、女の情けにも勝る神聖なものとなったのです。」
この「至上の宝」が指環であることをライトモティーフが語ります。指環の話はこの後に出て来るので、まだ実際にそれが「指環」だと言ってはいないのですが、音楽が先行して伝えています。このような箇所がテキストと音楽の結びつきの緊密さを示す部分でありまして、これはワーグナー自身がテキストも音楽も全て作っているから可能なことなのです。私たち聞き手はテキストのみでなく音楽からさまざまな情報を与えられるのです。
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3場では、アルベリヒが完成した指環の力を使い思う存分手下をこき使っています。ぐずぐずする手下に指環の力を見せつける場面があります。
「何をぐずぐずしている?まだためらっているのか?
(アルベリヒは指から指輪を抜き取り、口づけして、威嚇するように突き出す) 震え、畏れよ、奴隷ども!ただちに従え、指環の主に!」
(阿鼻叫喚のうちに、ミーメを含むニーベルング族は散り散りに逃げ去り、それぞれ立坑の中へと滑り降りていく)
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指環に口づけをする最初の2小節が「指環のモティーフ」です。ここは指環そのものと音楽がばっちり合致してる場面です。4小節目は半音下降する動きで「苦痛のモティーフ」と呼ばれています。この「苦痛のモティーフ」はのちに「神々の黄昏」の「ハーゲンの見張り」で発展した形で登場します。しかも「指環のモティーフ」と関連があるので覚えておいてください。
6/8に拍子が変わったところで阿鼻叫喚の表現でニーベルング族が悲鳴を上げるのですが、甲高い声を出すためにここで子供の声を使うことがよく行われていました。
4場ではヴォータンが力ずくでアルベリヒから指環を奪い取ります。その奪った指環を見て悦に入るヴォータンがファンファーレ風の音楽と共に歌い、「指環のモティーフ」と共に指に指環を嵌めます。
(指環に眺めいって)
「これがあれば位を極めて
王者のなかの王者になれる!」
(ヴォータンは指環をはめる)
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その後アルベリヒにより指環には呪いがかけられます。指環を手放そうとしないヴォータンに対して智の神エルダが警告します。
「今ある全てには終わりがある!
暗澹とした日々が今や神々に訪れようとしています。
忠告します、指環を避けよ!」
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1段目の最後から「神々の黄昏のモティーフ」が早くも現れる
ヴォータンは忠告を受け入れ指環を2人の巨人たちに渡します。すると2人は争い、ついにはファーフナーがファーゾルトを撲殺してしまいます。早くも顕在した呪いの威力!!ファーフナーは指環や財宝を手にし、この後長い時間にわたって指環を所有しることになります。
《ラインの黄金》での指環の所有者をまとめると
アルベリヒ → ヴォータン → ファーフナー
となります。
あんだけ指環を欲しがっていたヴォータンさんの所有時間はアルベリヒから奪ってエルダの言いつけを聞くまでの極めて短い時間だったとは!なんとも皮肉な感じがします。契約の神が渡してしまった以上自分ではもう奪還することはできないのです。『自分の手に触れずに指環を取り返す方法』(←なんかの本のタイトルみたい!)を考えてたら次の《ワルキューレ》《ジークフリート》のお話が生まれた、と捉えてもあながち間違いではないです。
第1日《ワルキューレ》
この作品ではファーフナーが所有したまんま指環の所在は動きません!楽劇の第2幕に至ってヴォータンのセリフの中で指環の話題が出ますが、ライトモティーフでその存在を思い出させてくれます。
「夜の闇が産み出した、ニーベルングのアルベリヒは愛の絆を絶った。彼は愛を呪い、その呪いにより、ラインの輝く黄金と共に、際限の無い権力を得た。(指環のモティーフ)彼が創り出した指環を私は彼から策略を用い奪った。」
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また3幕1場ワルキューレの一人シュヴェルトライテの語りに指環の話が出てきます。ファーフナーは隠れ頭巾を使い大蛇に変身し、森の奥にある「妬みの洞窟」(Neidhöhle)で指環を守っています。
シュヴェルトライテ
「荒々しい巨人は大蛇に姿を変えた。とある洞窟でファーフナーはアルベリヒの指環を護っている。」
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ということで《ワルキューレ》ではあまり指環のことを思い出す瞬間は多くないでしょう。この作品を鑑賞していると「ニーベルングの指環」だってことをなかなか意識しないように思われます。
第2日《ジークフリート》
作品の冒頭ではミーメが思案しています。森の中で眠るファーフナーをジークフリートが斃せばニーベルングの指環が自分の手に入る寸法だが、それを叶える剣ノートゥングを鍛えることができない、と。
「ファーフナー、凶暴な大蛇が暗い森の中に潜んでいる。馬鹿でかい図体でとぐろを巻きニーベルングの宝を守っている。ジークフリートが若さに物を言わせて大蛇のファーフナーを仕留めれば、ニーベルングの指環はわしの手に入る寸法だ。」
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譜例の最初の下降音型は指環のモティーフから派生したものです。一番上の音と一番下の音をつなげたこれは、「思案のモティーフ」と呼ばれています。指環のことを考えながら思案投首といった感じでしょうか。
第2幕3場、ジークフリートの吹くホルンの音により目覚めたファーフナーを、ジークフリートが戦いで斃し、小鳥の助言により指環を手に入れます。その時舞台ではミーメとアルベリヒの罵り合いが行われています。(ここ音楽的な難所です!)洞窟からジークフリートが出てきた箇所に「指環のモティーフ」の連鎖が聞こえてきます。長い間所有していたファーフナーから所有者が変わった「歴史的な」瞬間です。
(ジークフリート舞台の奥手に姿を現す)
アルベリヒ「後ろを見ろ!奴が洞窟から出て来たぞ!」
ミーメ「頭巾はおもちゃになるからきっと持ってきただろう」
アルベリヒ「確かに頭巾を手にしている」
ミーメ「指環も持っているぞ」
アルベリヒ「ちくしょう!指環もか!」
ミーメ「指環をくれるように奴に頼んだらどうだい!俺はどのみち自分のものにしてみせるがね」
アルベリヒ「何をいう、指環はなんと言ったって元の主のものだ」
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当のジークフリートはこの指環の力が何であるかは全く知りません。この後のセリフで「綺麗な飾り物だから今日の記念にとっておこう」などと言っています。彼にとっては指環は「大蛇退治の記念品」でしかないのです。
この後ブリュンヒルデを起こしに行きます。(そこに至るまで色々ありますが、直接指環に関係ないのですっ飛ばします!)
《ジークフリート》での指環の所有者をまとめると
ファーフナー → ジークフリート
となります
第3日《神々の黄昏》
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