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「マイスタージンガー」の5重唱 Wagner column #1
ミミとロドルフォの愛が生まれる二重唱(ボエーム)男同士の固い友情を描いたドンカルロとロドリーゴの二重唱(ドンカルロ)など、重唱はオペラの醍醐味の一つといえるでしょう。
ところがワーグナーの楽劇、特に中期以降の作品に於いては、男女が声を揃えて愛を語る、といったような典型的な重唱というのが多くありません。
「ワルキューレ」第1幕のジークリンデ、ジークムントも最後には愛し合うのですがお互いで語るのみで声が重なることはありません。ワーグナーはテキストが重要な意味を持つ楽劇には二重唱は不適切として退けていたのです。 観客に内容をよりよく届けるための工夫なのですね。
そんなワーグナーが「あえて」重唱を書くときは何か特別な意図があると考えて差し支えないでしょう。「ジークフリート」最後の場面では彼の接吻によって長いこと眠っていたブリュンヒルデを起こしますが、この時は互いに求めていた相手に出会った歓喜で声を揃えて歌う瞬間があります。ここはある意味「伝統的な」重唱です。
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その後様々な逡巡を経てブリュンヒルデはジークフリートに身をまかせる決心をし、2人の声が再び同時に聞こえてきますが、ブリュンヒルデは今まで背負ってきた世界の滅亡を願い、ジークフリートは彼女が甦った今を祝福します。そのため一見幸せな「愛の二重唱」にも思えるこの場面の音楽は、お互いの想いの違いからとてもぎくしゃくしたものになっています。その齟齬を見せるために重唱にしたのですね。ここは「非伝統的な」重唱です。お互いの行く末を暗示するような場面といえます。
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神々の黄昏の第二幕最終場面ではハーゲン、ブリュンヒルデ、グンターによるアンサンブルが聞かれます。ジークフリート殺害という共通の目的がありますが、裏切られたことに対する復讐目的のブリュンヒルデ、グンターに対し、指環の奪還という究極の目的のために二人を利用しているハーゲンの間には温度差があります。この欺瞞に満ちた相互了解の音楽的表現形式として「同時に語らせる」というオペラの形式をワーグナーにとらせたのです。楽劇には不適切としていた重唱を逆説的に用いたわけです。ここは実際の舞台で見るとオーケストラの爆音が鳴るため個々のセリフを聞き分けることは不可能に近いですが、それまでの経緯で各人の思惑は観客に伝わっているのでがあるので同時進行で歌っても問題ないのでしょう。
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