カヴァリエデュエット
時は2002年8月、東京シティ・フィルによるオーケストラルオペラ「ジークフリート」のオーケストラ練習が行われていた。その2年前から始まった飯守泰次郎/東京シティフィルによる「オーケストラルオペラ」の3回目だ。9月の公演に向けて毎年8月はオーケストラのみの練習が8〜9回も!行われていた。大井町の練習場に私も通い、連日のマエストロの練習を食い入るように見つめていた。
その日の練習は2幕3場、ミーメとアルベリヒによる、俗に言う「カヴァリエデュエット」(騎士達の二重唱) の場面。
↑この動画は翌年2003年新国立劇場でやった「トーキョーリング」のもの。アルベリヒ歌ってたオスカーから拝借。
ニーベルング族の二人が言い争いをする場面だが、ここはリングの中でも極めて特異な音楽。(私はここむちゃくちゃ好き❤️です!)
様々な楽器が16分音符+8分音符の音型を演奏するのだが、その入りが16分音符一個ずつずれている、という極めてトリッキーで演奏困難な箇所として有名だ。ヴォーカルスコアで示すと以下のようになる。
ワーグナーはここで突然このアイディアを思いついたわけではない。「ラインの黄金」ミーメの登場時にこういう音楽がある。
この音楽のいわば「再現」なのである。
「カヴァリエデュエット」の始まりは奏者が互いを聴いて合わせる、というのは困難で、指揮者がビートをしっかり振り、それを信頼して演奏していくしかない。ところがマエストロは、このような音楽でもいつものスタイルを崩すことはない。オーケストラはひたすら合わない。何度繰り返しても合わない。裏から出る人と表からでる人が一緒になったり。フラストレーションのたまるオーケストラ。
「ねえ、先生、もう少しビートのわかる指揮したほうがいいんじゃねえ?」と私も思うほど。これに6/8で書かれた歌も入ってくるわけだし、、これじゃ崩壊するよなあ、、
でも先生は変えない。このシーンでのアルベリヒとミーメは兄弟でありながら互いに敵意を抱いて、この2人を表現する音楽は形がゆがんでいて、息が短く、滑稽な面もあり、要するに狂気を孕んだ音楽なのだ。それを正確なビートを刻んで「ただ合わせる」だけの音楽に堕しては、先生の思う狂気にはならないということだったと思う。よく先生は
「危険を冒して!」と言っていた。危うさを孕みながら「なんとか合っている」ことこそ、求めていたものかもしれない。実は飯守先生、はっきりビートを刻む指揮もできたらしい。しかしそれは私の音楽ではない、とばかり敢えてやらなかった。
本番がどうだったか詳しくは覚えていない。なぜなら私はプロンプターとして先生の棒を「翻訳して」歌手に棒を振っていたし、他にも気にすべき場面が山ほど「ジークフリート」には存在していたからである。実際のところ、先生の棒だけを見て歌手はこのシーンは歌えまい。いや、百戦錬磨の歌手が全てを把握している状態ならば可能ではある。しかしオーケストラルオペラは一回こっきり、しかも皆初役である。私が歌手の近くでわかりやすく「1,2,1,2」と振りながら言葉とアインザッツを出していた。この行為は先生の音楽に相反する行為だろうか?いや、違う。先生の意図を汲みつつ最大限の音楽的成果を出すには、こうした翻訳が必要だった。
こうして私は先生の音楽の「翻訳家」になった。時には先生が泳いでいるだけで、オーケストラが自主的に音楽をしてる、なんてことも起こるが、そうなると舞台上の歌手は先生だけを見てもわけがわからない。そうなると翻訳家たる私が唯一のよすがとなるのである。2016年新国立劇場「ワルキューレ」の最後、ヴォータンの告別がまさにこんな感じだったな。そして2017年「神々の黄昏」まで、あらゆるワーグナー作品をご一緒することができた。
マエストロの音楽、この20年で随分変化したように思う。以前はタメの効いたスローで重たい音楽というイメージであったが、亡くなる前の4月にやったブルックナーなど、びっくりするくらいの推進力であった。新国立劇場でのワーグナーも実は日によってテンポの振り幅はかなりあった。あまりにテンポが違いすぎて転換が間に合わない、なんてこともあった。いつも練習や本番の録音をチェックしてたのは知られざる事実だ。しかし根底にある骨太な理念は20年前も亡くなる前も変わらず存在しており、それをずっとアップデートし続けてきたように思う。
どなたかがyoutubeに挙げて下さった、マエストロがサイトウキネンを振った時の映像。トリスタン前奏曲も素晴らしいが、斎藤先生の講義の再現としてピアノを使いながらお話ししてる「タンホイザー序曲」に心打たれる。このように音楽を捉え、言葉で語り、ピアノで表現し、オーケストラで演奏する、こういう本質を捉えた音楽思考と演奏行為のできる人がいま日本にどれだけいるだろうか?
私は先生に薫陶を受けた者として、このような「音楽の本質」を忖度なしに常に追求していける人でありたいと願う。それにはまだまだ未熟者であることは百も承知だが、この思いの継承こそ我が国の音楽界、オペラ界を次へ繋げていくことだと信じている。