「参加型出版」の実感
小説「ジミー」のクラウドファンディングが1月1日からスタートするので、その準備に追われている。
この本は、「参加型出版」の方法論を明確に意識して展開する最初の本になる。前例がないため、動きながら、試しながら、考えながら、ここまでやってきた。
ここに来て、ようやく理解に身体が追い付いてきて実感できた感覚があるので、それを書き留めておきたい。
参加型出版とは?
「ジミー」の出版をどのように進めていくのかを話し合っているとき、橘川幸夫さんが、「分かっちゃったよ」と言い、次のように説明し始めた。(正確なセリフは忘れちゃったので、だいたいの内容です)
出版の原理は、書きたい人(著者)が書き、出したい人(編集者)が出すということ。その本質に立ち返る。
資本主義システムの成熟に伴って、出版社が出したい本を編集者が著者に依頼して執筆するという逆転現象が起こっているので、本来の「出版の原理」へ立ち返って「参加型出版」をやっていこうということだった。
それは、一人ひとりが意志を持って社会に発信して、相互に受信していく「参加型社会」へと繋がる方法論になるのだろう。
「参加型出版」の著者は、書きたい人である。これはシンプルだ。
一方で、「参加型出版」の編集者のほうは分かりにくい。
編集者の役割を分解すると、
1)著者に伴走して原稿を作り、本を制作する。
2)本を社会に広める。
に分けることができる。「参加型出版」では、編集者の役割を個人ではなく、「この本を出したい」という意志を持った集団が担う。
「ソーシャル編集(者)」という集団の存在が、「参加型出版」のカギを握るのだが、それが、どのようなものなのかが、今一つピンとこなかった。
「ジミー」の出版プロセス
「ジミー」は、著者の青海エイミーが、一人で書き上げた小説だ。橘川さん、太田さん(メタブレーン)、平野さん、私の4人は、原稿を読んで、「ジミーを出版したい」と思い、出版プロジェクトが立ち上がった。
1)著者に伴走して原稿を作り、本を制作する。
のところは、すでにやり終えている。
2)本を社会に広める。
のところを当事者として担う「ソーシャル編集(者)」が出現してくれば、「参加型出版」が現実化するのだが、まだ4名しか原稿を読んでいない状況では、そのような人たちが出現してくるかどうか、分からなかった。
まずは、多くの人に原稿を読んでもらうところからスタートした。
その中から「この本を出版したい」「多くの人に読んでもらいたい」という人たちが現れたら、その人たちと一緒に出版していこうという考えだ。
2021年10月頃から、「ジミー」の原稿が、いろんな人たちのところに手渡されていった。僕だけじゃなく、橘川さん、太田さん、平野さんも手渡しているはずだから、正確にはどのくらいの範囲に広がっているか分からない。
この原稿が、どのように読まれるのだろうか?
不安と期待が入り混じるような気持ちで、反応が戻ってくるのを待った。
少なくとも200名に原稿を配布して読んでもらったが、その中から「心が大きく動いた」という人たちが、かなりの割合で現れた。
「ジミーを、多くの人に読んでもらいたい」という声も出てきた。
まだ見たことのない「参加型出版」というものが実現する目途がたってきた。
出版の記念の石碑に「意志」を刻む
ジミーの出版を望む人たちが書いた20個以上のコメントを見ながら、「これは、何だろう?」と思った。
応援じゃない気がする。
応援よりも、もっと自分ごと。当事者性が高い。
しばらくして、これは、「ジミー」という本の出版に、意志を持ち、当事者として関わったという証として名前を刻む行為なのだと分かった。
映画のエンドロールに名前が出てくるような感覚。
いわば、「ジミー」の出版の記念の石碑に、名前とともに意志を刻むような行為なのだろう。
一人ひとりの言葉から、両足で大地を踏みしめて、発声しているような力強いエネルギーを感じた。
一人ひとりの意志から生じるエネルギーによって、本が社会に広がっていくのが、「参加型出版」なのだと実感した。
理解するのと実感するのとは、雲泥の差だ。
理解は、話を聞いただけでもできるが、実感は、実際にやってみないと得られない。
こういう感じなんだ。
でも、まだ、始まったばかりだ。
これから起こるドラマを通して、「参加型出版」の実感は、さらに確かなものになっていくだろう。
そして、その実感は、次に続く「参加型出版」へと繋がり、時代のうねりのエネルギーになっていくはずだ。
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