見出し画像

参加型社会とは、プロジェクト・エコシステムの社会だ

7月7日に参加型社会学会のキックオフイベント「企業と社会の未来を考えるオープンミーティング」を行いました。220名ほどの方が申し込んでくださり、様々な意見をいただきました。

様々な意見が出ることこそ、参加型社会では重要なことなので、批判的な意見もウェルカムで対話するための企画を橘川さんが考え、毎週金曜日の20時から「田原真人のかかってこい道場」を開催し、道場破りを募集することになりました。7月9日の第1回には、早速、4名の方が参加して下さり、活発な意見交換をすることができました。

様々な問いかけがなされ、それについて考えていく中で、新たな発見がありました。今日は、その発見について書いていきたいと思います。

組織からではなく、バンドから

かかってこい道場で投げかけられた問いの中に、次のような要旨のものがありました。

「人間の情報処理能力では150人以上の関係性を把握できない。だから、それよりも大きな組織、社会を形成するために規範が必要になった。しかし、規範があることで参加型ではなく、参加させられ型になってしまう。参加型社会では、このパラドックスをどう扱うのか?」

参加型社会の原理的な部分についての本質的な問いで、考えさせられました。

私は、2020年に組織を離れて、現在はプロジェクト(社会的バンド)を単位として活動しています。約30個のプロジェクトに関わっており、各プロジェクトの平均メンバー数を5人とすると、合計で150名ほどの人と関わっていることになります。

30個のプロジェクトが上限だなと感じているので、「150人以上の関係性を把握できない」という言説にも、それなりの納得感があります。

ここまで考えて、上記の質問は、組織人の感覚に根差したものなのかもしれないと思いいたりました。プロジェクトを単位にすると、前提が変わってくるからです。組織に所属しているときは、同じ組織に所属しているという理由で関係性を作っている固定的な150人が、その人の人間関係の容量を埋めていることが多いのではないでしょうか。

プロジェクト(社会的バンド)を単位にすると、プロジェクトが終了すると、いったん関係性が薄まり、空いたスペースに別のプロジェクトが立ち上がり、新しい関係性が生まれるのです。ですから、「同時に関係性をメンテナンスできる容量は150人程度」であり、150人の内訳は、どんどん移り変わっていくように思います。私の場合は、実際にそのようになっています。

潜在的にプロジェクトを組むかもしれない人たちが、すでに知り合いになっている人や、これから出会う人たちを含めて数百人から数千人いて、その人たちとプロジェクトを組んで、終わったら解散していくという活動のダイナミクスの中で、同時にハンドルできる人間関係の上限が150人程度だと捉えると、参加型社会の動きがイメージしやすいように思いました。

潜在的バンドメンバー

プロジェクト(社会的バンド)を単位にすると、社会の画一的な規範に照らして考えるのではなく、プロジェクトメンバー内の関係性の中で、そこに立ち現れる文脈の中で考えていくことができます。

社会規範に従っていくのではなく、プロジェクトメンバーの関係性から生まれる新しい価値や意味、文脈を社会に発信して逆流させて、それによって社会をアップデートしていくのです。

プロジェクトメンバーをどうやって探すのか?

プロジェクト(社会的バンド)を活動の単位にすると、他者の捉え方が反転します。

社会の中で競争しているときは、社会で定義されている画一的な価値観に照らして、どちらが上かという発想が生まれやすいです。

しかし、プロジェクト(社会的バンド)を活動の単位にした途端、あらゆる他者が、「潜在的プロジェクトメンバー」に見えてくるのです。

「この人と一緒にプロジェクトやったら、何を生み出せるだろうか?」

という妄想が、人生の中で出会う一人一人に対して立ち上るようになるのです。

他者が、少ないパイを奪い合う競争相手ではなく、いっしょにプロジェクトをやって何かを生み出す潜在的仲間に見えてくるのです。

そうなってくると、どうやって潜在的プロジェクトメンバーと出会うのか?に関心が向いてきます。

様々なイベントやコミュニティに関わりながら、常にプロジェクトメンバー探しをするようになります。関係性を育みながら、状況が整って、一緒にやりたい企画が思いついたときに、

「一緒にプロジェクトやりませんか?(バンドやろうぜ!)」

と声かけて、プロジェクトがスタートするのです。

そのタイミングを、365日、虎視眈々と狙っている日々を送り、プロジェクトに誘ったり、誘われたりしながら生きていくのが、出現しつつある参加型社会での生活なのです。

プロジェクト・エコシステム

多数のプロジェクト(社会的バンド)が乱立するようになると、プロジェクト同士がお互いに知り合って、協力したり、棲み分けたり、するようになります。プロジェクト・エコシステムが生まれて、大きな循環が自己創出されていきます。そうなると、メタレベルで自己創出された循環を文脈として、個別のプロジェクトの活動の意味も際立ってきます。個別の活動とメタレベルとの循環の間に、相互補完的な関係が生まれてムーブメントが生まれてきます。

プロジェクト・エコシステムが自己創出するためには、プロジェクト同士が出会い、知り合い、関係性を育む必要があります。そのために有効なのが、プロジェクトが集まるイベント(社会的バンド・フェス)や、メディア(プロジェクト投稿メディア)です。

このようにして、多数のプロジェクト(社会的バンド)が、世界中で同時多発的に乱立して、複雑で動的なプロジェクト・エコシステムが自己創出されたときに、参加型社会が出現していることになりそうです。

ここまで考えたときに、

参加型社会とは、プロジェクト・エコシステムの社会だ

という言葉が降りてきたのです。

参加型社会の教育とは?

かかってこい道場で、「参加型社会における教育とはどうなるのか?」という質問がありました。

参加型社会を「プロジェクト・エコシステムの社会」というように仮置きすると、その社会で生きるために必要な練習の機会が、参加型社会における教育ということになります。

中央集権型の近代社会システムでは、社会構造を維持するために、画一的な規範を子どもに身に着けさせることが教育に課されていました。

国や組織という枠を作って内と外を分け、内側を画一的な規範によって均質にすることで秩序化と効率化を行ってきたのです。

しかし、コロナによってコミュニケーションがオンライン化した結果、枠が意味をなさなくなってきます。国境を越え、異文化と交わり、共通の規範を持たない相手と関係性を育みながらプロジェクトをやっていく社会へ、これからの子どもたちは飛び込んでいくのでしょう。

その時には、異質な相手を、自分の規範に照らして否定するのではなく、違いから新しいものが生まれる可能性を見出して関わっていくスキルが、これまでよりも重要になってくるのです。

出現しつつある参加型社会の教育とは、子どもたちが、様々な相手とプロジェクトを組んで、失敗や成功を重ねて、その体験から学んでいく機会を与えるようなものになっていくのではないでしょうか。もちろん、これまでの社会が消えてなくなるわけではないので、従来の教育の継続も大事ですが、従来の教育と新しい教育との混合比率が、時代に合わせて変化していくのだと思います。

参加型社会学会のFacebookグループ

7月7日のキックオフイベントを終え、参加型社会学会のFacebookグループを立ち上げることにしました。

グループ内で、イベントの録画や、「田原真人のかかってこい道場」の録画などをシェアしていきます。また、関心を持ってくださっている皆さん同士の交流も生まれていくはずです。

興味を持ってくださった皆さんの参加をお待ちしています。

登録申請はこちら


ここから先は

0字
参加型社会を模索するための、企業・法人・個人会員向けの情報を提供します。

参加型社会学会

¥1,000 / 月 初月無料

参加型社会を目指す人のための情報共有の場です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?