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アクセンチュアという得体のしれないグローバル会社で働いて得た気づきとかいろいろ
2002年に新卒で入った会社はアクセンチュアという経営コンサルティング会社だった。経営コンサルタントになりたかったわけではなく、将来起業するにあたって、広く浅く世の中の仕組みを知れたらいいな、くらいの気持ちだった。
マーケット(=市場)との向き合い方、同業他社とのポジショニングなどなど、同社で数年間働くことで得たさまざな気づきは、その後、リライトというまちづくり組織の立ち上げに、少なからず影響を
博士過程進学のつもりだったのに、なぜか外資コンサルに行くことになった話
僕はもともと博士課程進学を目指していたので、新卒で外資コンサルティング会社に入るなんてことはまったく予期していなかった。「この会社だったら就職してもいいかな」と思えたいちばんの理由は、学生から見たアクセンチュアはとにかく自由で面白そうに感じたからだ。
内定をもらうまではいろいろな紆余曲折があったので、せっかくなのでここに書き残しておこうと思う。
4年生になっても誰も就活をしない特殊な環境大学4
裏原宿をきっかけにまちに興味を持った話
高校時代に興味をもった裏原宿のこと高校生だった頃(1990年代中頃)、ファッション誌でよく取り上げられていた裏原宿界隈に、強い興味と憧れを持っていた。服飾専門学校を出たくらいの自分よりちょっとだけ上の世代の若者たちが中心になり、でもって、彼らの友人同士で盛り上がっている感じが次第にムーブメントとなって、結果的に裏原宿エリアの認知度や賑わいにつながっていく感じに。
当時、その中心にいたのは藤原ヒロ
実は建築家になりたかった?という話
とりあえず、どんなヤツなのかを知ってもらいたいので、しばらくは前フリです。
まずは大学に入るまでの話。子供のころは実は建築家になりたくて、大学受験では建築学科のある大学を志望した。高校は桐朋という国立にある進学校に通っていたが、自由な校風で、浪人するのが当たり前(7割くらいは浪人していたと思う)ということもあって、1年じっくり浪人生活を満喫した。要は現役ではどの大学も受からなかった(笑)。
な
note(ノート)はじめました
7月27日で45歳になりました。
ここ数年、Facebookを含めたSNS等との距離感が分からず、あまり発信しなくなって久しいのですが、一応節目ということで近況報告的に。
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2018年8月にリライトの設立10周年を迎えた事を期に、「これからの10年」について考えるようになりました。
これまでは、いただいた仕事にただがむしゃらに向き合うことだけで精一杯でしたが、これからの10年は、これまで
籾山真人 プロフィール
基本情報名前
籾山真人
生年月日
1976年7月27日
経歴
博士(工学)、1976年東京都立川市生まれ。2000年東京工業大学社会工学科卒業、2002年同大学院修了。2002年アクセンチュア株式会社入社。経営コンサルティング業務に従事。マネージャーとしてクライアント企業の新規事業立上げ、マーケティング戦略の立案などに携わる。2008年に株式会社リライトを設立、同代表取締役就任。現在に至る。