ショートショート「コンパス・バレエ」
このたび「バレエ文学」という企画に参加させてもらうことになりまして、バレエにちなんだ以下のショートショートを寄稿させていただきました。ご笑覧くださいませ!
「コンパス・バレエ」 田丸雅智
算数のあとの休み時間に、となりの席の伊藤さんが机の上でコンパスをくるくる回していた。
何をやってるんだろう……。
そう思った直後、ぼくは目を丸くした。どういうわけか伊藤さんのコンパスは支えなしで立っていて、細長い2つの脚をまるで人間みたいに曲げたり伸ばしたりしていたのだ。
「ねぇ、なんでコンパスが動いてるの……!?」
たまらず聞くと、伊藤さんは振り向いた。
「なんでって、私のコンパス、バレエ習ってるからさ。脚だけで演じる、コンパス・バレエ。あっ、そうだ、よかったら、ちょっと演技を見てくれない? こんど、発表会があるんだ。人の前で演技するって、いい練習になると思うから」
「えっ、うん……」
ぼくがうなずくより先に、伊藤さんはバッグの中から小さくて白いものを次々と取りだしはじめた。ひとつはタイツで、伊藤さんはそれをコンパスの両脚に通してあげた。シューズもあって、針と鉛筆の先っぽにはかせてあげる。最後に着せたのは、スカートみたいなものだった。
「これはチュチュね。じゃあ、見てて。あっ、やるのは『白鳥の湖』の第1幕、パ・ド・トロワ第1ヴァリエーションだよ。音楽は私の鼻歌だけど」
途中の話はよく分からなかったけど、伊藤さんはすぐに鼻歌をうたいだし、コンパスはそれに合わせて机の上で踊りはじめた。
とたんにぼくは、その演技に引きつけられた。
コンパスは軽やかにジャンプしたり、脚を高くあげたり、片脚で立ったままでもう片方の脚を内側に曲げて伸ばしたり。
動きはゆったりとなめらかで、つま先まで気持ちが行き届いているのが伝わってきた。脚だけしかないはずなのに、そこから上の姿まで頭の中に浮かんでくる。
やがてコンパスは、何度もくるくる回ったあとにピタッと両脚を机につけて演技を終えた。
「すごい……とってもきれいだった……!」
感動の言葉を伝えると、伊藤さんはうれしそうに微笑んだ。
その日から、ぼくの日常に変化が起こった。あの演技を見た直後から、ぼくのコンパスも勝手に動くようになったのだ。しかも、なんだかうずうずしていて、落ち着きがなかった。
「もしかして、きみもバレエをやってみたいの……?」
尋ねると、コンパスは「そうだ」と言わんばかりに机をドタドタと駆け回った。
そうして、ぼくのコンパスは伊藤さんのと同じバレエ教室に通いはじめた。先生から言われている今のところの大きな課題は、柔軟性だ。
そんなわけで、近頃はお風呂上りのストレッチを手伝ってあげることが、ぼくの日課になっている。45度も開脚できないコンパスのために。
(了)