禅語「機輪転処」を考察する。
大応国師は中国に渡り虚堂智愚禅師の下で修行されてのち、帰国されてしばらく大宰府の横嶽の崇福寺に住されていた。
ある時所用で近在の曹洞宗の岩屋寺を訪ねられたとき、禅堂の版木に
「心随万境転 転処実能幽 随流認得性 無喜亦無憂」
の偈文を見られて、
案内の僧に「この中のどの字が一番大切と思うか」と問われた。
僧は「先師の遺誡により幽の字に参じています」とこたえた。
国師は黙って聞かれただけで、そのまま自坊へ帰られて、侍僧に「岩屋寺の僧は幽の字が大切だといったが、実は転の字がもっとも肝心なところだ」
といわれたと言う。
この逸話が、機輪転処の言葉を考察するきっかけとなる。
機輪転処とは、
「截断仏祖 吹毛常磨 機輪転処 虚空咬牙」
にある、国師の遺偈です。
国師が日本で説法する始め頃の逸話にある偈文
「心随万境転 転処実能幽 随流認得性 無喜亦無憂」
と
国師が日本で説法する最後の偈文
「截断仏祖 吹毛常磨 機輪転処 虚空咬牙」
転の字が含まれる「心随万境転 転処実能幽」と「機輪転処」
仏教ですので補助線となる言葉は、「因縁」
マクドナルドをマクドやマックと呼ぶように縮めるからわからなくなるのだけれど、十如是のこと。
10の如是とは是(かく)の如(ごと)し(そのようである、という意)です。
相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等
のことで、
相がみえると・性を持った・体がある・力を持ち・作用する。
これらを総じたものが因です。
そこへ触媒の縁に触れると、果が生じ・報がある。
報が、次の因(相・性・体・力・作)となり
縁と結びついて、次の果報となる。
そのように時間的に始めから終わりまで、空間的に、物理的に、
世界すべての物事は、等しく同じ運動をする。
観察すると、因に対してある縁が結びつくと此の果報が予測できる。
因(相・性・体・力・作)
縁(果・報)
此の果報を見ると縁と因がわかる。
定型がわかることは、理解できます。
誰だか知りません。知識を積み重ねたのか、経験を積み重ねたのか、
癌の因縁とか、後家の因縁とか、○○の因縁とか、人を対象とした言葉がありますね。
切り取った時系列は、
過去の因が、現在の縁と結びついて、未来をつくる。
「元、現在だった過去の因」が、「元、未来だった現在の縁」と結びついて、未来をつくる。
因縁果報因縁果報因縁果報因縁果報因縁果報因縁果報因縁果報
と続くのですが、果報は、縁に含まれるので、
因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁因縁
端と端がつながるので、輪にもみえる運動です。
因と縁がつながり、事象は起こる。
因に縁がつながらなければ、事象は起きない。
縁によって起きるので、縁起と呼びます。
代表的な縁起のたとえに水があります。
何も見えないが、此の水がある。
透明な相を持った水である。
熱という縁を与えれば、雲となる。
冷という縁を与えれば、雨となり、
寒冷の縁を与えれば、雪や雹、堅き氷となる。
温暖の縁を与えれば、水となる。
水の性に変わりなく、ただあるものは変化のみ。
縁によって起こる。
この縁起現象に指向性を持たせる。
連続する「因と縁」の動きを「輪」ととらえ、
「縁」の細かな働き、制御可能なからくり、きざしを「機」とよび、
「機」に働きかけることにより、望む向きへ「転」ずる。
「縁起の現象」を自身の望む方向へ進める。
「因縁の連続回転運動」の輪を制御可能な
「機の連続回転運動」の輪とみて「機輪」
機に働きかけ、回転する向きを変える事ができる処を「転処」という。
機に働きかけるに優れたことを機転が利くといい。
機に働きかけ、転じた環境を転機という。
「心随万境転 転処実能幽」
心は外的の条件、環境に随って変わるものです。
良い方向へ「転」すると幽玄。
「転」を良い方向へ向ける事が肝心ですね。
国師の遺偈
「截断仏祖 吹毛常磨 機輪転処 虚空咬牙」
補助線として、「宝剣」
仏教における宝剣は金剛王宝剣。般若の智剣ともいい、
一切の迷妄を一刀両断する法剣である。
「吹毛」(吹毛剣のことで碧巌録の「巴陵吹毛剣」ある)
細く柔らかい羽毛でも、ちょっと吹きつけ触れただけですぱっと切れてしまうような鋭い刃。宝剣の状態。
「衆生本来仏」
「宝剣 手裏(しゅり)に在り」
一切衆生、すべての人々にも本来円満具足の仏性、仏智、宝剣(仏の智慧)は備っている。
「截断 仏祖」
衆生本来仏であるがゆえに
一切の迷妄を截断し尽くして、佛様や祖師となる。
佛様や祖師となる為、一切の迷妄を截断し尽くす。
「吹毛 常磨」
般若の智剣は吹毛剣となる、常に磨き終える。
常に磨き終える為、般若の智剣は吹毛剣となる。
「機輪 転処」
「因縁」は「機輪」となる、「縁起」は「転処」となる。
「縁起」は「転処」となる為、「因縁」は「機輪」となる。
「虚空 咬牙」
この世は「因縁と縁起」「機輪転処」であるがゆえに「空」となる。
牙を咬む内も「因縁と縁起」「機輪転処」であるがゆえに「空」となる。
牙を咬む内も「因縁と縁起」「機輪転処」であるがゆえに「空」となる為、
この世は「因縁と縁起」「機輪転処」であるがゆえに「空」となる。
補助線として古語「虚空」の意味
名詞①大空。空間。②仏教語。実体がないこと。空。
「虚空なり」となると、心がむなしい。心がうつろだ。とりとめがない。むてっぽうだ。となる。
仏教語。実体がないこと。「空」のイメージでは、大空。空間。
実体がないので、「因と縁の関係性」で認識する対象が広がるイメージ。
ちなみに「無」は、すべて無い。「空」は、関係性がある。
先ほどの「水のたとえ」の続きがある。
温暖の縁を与えれば、水となる。
水の性に変わりなく、ただあるものは変化のみ。
縁によって起こる。
この水も、最初の水と同じようにみえるが、同じではない。
同じではないが、最初の水と同じようにみえる。
和歌に「掛け詞」というものがある。
同じ音で意味の異なる語(同音異議語)を利用して、一つの語に二重の意味を持たせる表現技法。文脈が複雑になり、意味内容が豊かになる。
「虚空 咬牙」
こくう こうが
「此空 刧賀」
ここに大空。長く続く祝賀。