足摺七不思議〜一夜建立不成の鳥居 二巡目〜お四国参りお遍路さんの紙芝居
一夜建立ならずの鳥居
大師熊野権現遥拝のため建立せんとするも天魔の障害あり竣工に至らざりしと云ふ。
足摺七不思議の「一夜建立ならずの鳥居」から得られる教訓。
成功には忍耐が必要である
大師は一夜で鳥居を建てようとしましたが、天邪鬼の策略により完成しませんでした。この伝承は、「焦りや短絡的な考えでは、大きな目標を達成できない」という教訓を示しています。人生の困難を乗り越えるには、着実な努力と忍耐が不可欠です。
外部の誘惑や妨害に惑わされるな
天邪鬼の鳴き真似により、大師は誤って作業を中断してしまいました。これは「外部のノイズに振り回されず、本質を見極めることが重要である」という示唆を含んでいます。私たちも、他人の意見や環境に左右されず、自分の信念を貫くことが求められます。
失敗は終わりではなく学びである
鳥居の建立は果たせませんでしたが、伝説として語り継がれることで、多くの人に影響を与えています。このことから、「失敗を恐れず、それを次の機会へと活かすことが大切である」という教訓が得られます。人生においても、一度の失敗で諦めるのではなく、それを糧に成長することが求められます。
寓話「一夜で建たぬ鳥居」
私は歩いていた。どこへ向かうとも知らず、ただ歩いていた。
財布の中には小銭が少し。住む場所はない。働くこともできない。けれど、このままではいけないことだけは分かっていた。
足摺岬まで来たのは偶然だった。岬の突端に立つと、どこまでも広がる海が見えた。私は柵に手をかけ、遠くを見つめる。そこに「一夜建立ならずの鳥居」と書かれた看板があった。
私はその場に座り込み、ぼんやりと説明を読む。
「弘法大師が一夜で鳥居を建てようとしたが、天邪鬼に騙され、未完成のまま残った」
鳥居を見上げると、確かに未完成だった。石の台座があり、柱が立ちかけていたが、そこに続くはずの上の部分はなかった。
未完成のものが、ここにずっと残っている。
私の人生も、何もかもが未完成のままだ。
私は幼い頃、親から期待されず、殴られた。学校へ行けば先生に放置された。大人になれば彼氏に暴言を浴びせられ、逃げることもできなかった。日本に来たのは、ただ彼についてきただけ。何も考えず、何も選ばず、ただ流されるように生きてきた。
「一夜で建てようとしたから、完成しなかったんだ」
鳥居を見上げながら、私は呟く。
大師は、急ぎすぎたのかもしれない。もし、一晩でなく、一日ずつ、少しずつ建てていれば、この鳥居は完成していたのだろうか。
私は、人生を一夜で変えようとしたのかもしれない。誰かについていけば、簡単に国を変えられる。誰かに愛されれば、それだけで幸せになれる。そんなふうに考えていた。でも、それは違った。何もかもを一気に手に入れようとして、結局、何も持たずにここにいる。
「天邪鬼は、誰だったんだろう」
私を騙したのは、彼氏だろうか。暴力を振るった親だろうか。それとも、私自身だったのか。
私は、夜が明けたと勘違いした大師と同じだった。まだ道が続いているのに、諦めた。手続きを怠り、働く場所を失い、道が閉ざされたと思い込んだ。だけど、本当に終わったのだろうか。
鳥居は、未完成でもここに立っている。
たとえ、全部を失っても、私はまだ生きている。ならば、まだやり直せるのではないか。
私はもう一度、海を見た。
風が吹いていた。潮の香りが鼻をかすめる。
日本で生きていく道は、まだ残っているだろうか。もし、今からでも、少しずつ積み上げていけば——。
私は立ち上がり、鳥居にそっと手を触れた。
「やり直そう」
一夜で建てるのではなく、一日ずつ。今度こそ、天邪鬼に惑わされず、自分の手で。
岬を後にして、私はまた歩き出した。
道の先に何があるのかは分からない。でも、もう「何もかもが終わった」と思うのはやめることにした。私はまだ生きている。ならば、まだできることがあるはずだ。
足摺岬を出ると、小さなバス停があった。私はポケットの小銭を確かめる。これでどこまで行けるかは分からないが、どこかには行けるだろう。
ベンチに腰掛け、バスを待つ。周囲には誰もいない。静かに風が吹き、潮騒が遠くに響く。
——このまま、私はどこへ行くのだろう。
考えてみれば、私はこれまで「自分で選ぶ」ことをほとんどしてこなかった。ベトナムでは親に逆らえず、日本では彼氏についていくだけだった。未来のことを考えるより、ただ「今をどうやり過ごすか」ばかりに気を取られていた。
でも、もう彼氏はいない。私を支配する人もいない。
これからの道は、自分で選ぶしかない。
バスがやってきた。私は立ち上がり、運転手に行き先を聞く。
「終点までいくらですか?」
小銭で足りる金額だった。私はうなずいて運賃を払い、バスに乗り込む。
窓の外に、未完成の鳥居が見えた。
人生は、一夜で完成しない。
けれど、それでもいい。
一日ずつ、少しずつ進んでいけば、いつか「完成」に近づけるかもしれない。
私は深く息を吸い、バスの揺れに身を任せた。
終点がどこなのかは分からない。けれど、少なくとも私は、今ここで立ち止まるのをやめたのだ。