心の奥を疼かせるのが、「時」。
「時」を想起させるものが、この場所に散らかって、重なり合っている。
17億年程前の「時」から始まる。
足摺七不思議を進んでいくと白山洞門がある。
ハートマークにも見える洞門から海をみる。足下に「ラパキビ花崗岩」が転がっている。近所のおばちゃん家の漬物石や、軒先の垣根にも使われている。
大陸地域のラパキビ花崗岩は、13億年から17億年前の古い時代に形成された。
おばちゃん家の漬物石。
1400万年前の新しい時代にできた。
現在発見された中で、地球上で一番新しいラパキビ花崗岩。
自然科学の主流説では、日本に存在しない石とされる。
しかし、 足摺岬に存在している。
ちょうどこの辺に火山。中のマグマ溜まりで、花崗岩と玄武岩が混ざり合って、生まれた。
混ざり合うはずのない花崗岩と玄武岩が、
混ざり合うはずのない時。
混ざり合うはずのない場で、
混ざり合って、石となり、拾われ、
おばちゃん家の「キュウリの糠漬」を美味しくしている。
足下の丸っこい石を両手のひらに包み込み、持ち上げる。
花崗岩へ黒色の玄武岩で模様が描かれている。
まるで、怪獣の卵。
後に卵石は、「ご当地怪獣サバサバラー」の物語へとつながる。
窪みある丸みを帯びた女性らしさを突き出す態の白山洞門へ
男性の胸板が、かぶさるように見える白皇山。
洞門の上には、
国生みの神様であるイザナギ様イザナミ様のお社があり、
花崗岩洞門を依り代として、白山の神様を勧請している。
後に、海の白山神社と山の白皇神社は合祀される。
「時」に「逢う」でジオとよばれ、
後に、大地の記憶地としてジオパークとなる。
足摺七不思議には、ジブリ映画に寓意を込めた演出が織り込まれているように、「時」が紛れている。
「時」の前と後をつなぐ「機」を取り出して、
「好機」と「逸機」を寓意として混ぜ構成している。
「機会」で生まれる物語を「縁」によって生まれる説法としている。
足摺七不思議のひとつに「経塚」があるとされる。
灯台を建てようと大正3年の基礎工事中、経典を納めた筒がふたつ発見され、この地が経塚であることが判明。伊佐経塚と名付けられた。経筒は東京国立博物館に所蔵されています。
お経は、お経だからありがたいのではない。
佛様が如の世界へお戻りになられた後、お経が佛様のお力を持つ。
大日如来様は、「遍照金剛」ともよばれ、
五色の智慧の光で、三千世界を遍く照らす。
「知」によって照らされて、
始めて人は、世界を見ることができる。
智慧の光を発する場所へ航海の安全を祈念し、
闇夜を照らす灯台を建設した。
昭和36年。世界平和をも祈る。現在の宇宙ロケット型の灯台となった。
宇宙ロケットなんて天喰うな発想は、後に麹を宇宙空間へ飛ばして「宇宙酒」を拵えることにつながる。
後に、足摺岬灯台の擬人化キャラクターがつくられ、燈の守り人「幻想夜話」が綴られる。
足摺七不思議は、「時」のアレゴリー、アイコンがいくつも重なり、
「個々の欲望に塗れた価値」を「本能の暴流」で押し流し、
「世界中の神話に類似する価値観」を意識の表層へ浮上させるプロンプト。
個性はつまらない。共感とコミュニティを求める気持ち。共同で何かを創作する意志。世代に物語をつないでいく意志。強い集客力と集金力を持つ意志。神に対する怒り。これらは自身の内に、すでに人々の深層でつながる「本能の暴流」の存在を感じているかもしれません。
神に対する怒りにある神とは、自己主張する神。見せるべき神。見せる神です。本居宣長さんの「古事記伝」にある、我が国の神を定義した「カミ、迦微、迦美、可微、可美」ではありません。
足摺七不思議の体感は、人によります。
ただ、景色を眺め、うまいもんを食べて、
あしずり温泉に浸かったら「ふぅ極楽~極楽~♬」がお約束。