足摺七不思議~Hidden Dimension~
房家の兄である政房は、
長槍を持った兵士に心の臓を刺された。
死の際「南無西方極楽世界阿弥陀仏」と唱えたという。
その姿は、直衣狩衣の優美なお姿と伝えられる。
足摺七不思議、「六字名号の石」に優美な兄の姿を房家は感じたことでしょう。
一条房家の父、一条教房
一条教房の父、一条兼良
一条兼良の父、一条経嗣
一条経嗣の父、二条良基
房家の祖父が、一条兼良。兼良の祖父が、二条良基
二条良基、一条兼良、と続く「連歌」と「古今伝授」がある。
古今伝授とは、
古今和歌集の講釈と秘説をつたえることです。
足摺七不思議「六字名号の石」は、「さざれ石」
このさざれ石にまつわる歌が、
「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」
古今和歌集の賀歌(長寿を祝う歌)の一首です。
古今和歌集というのは、延喜5年(905)に紀貫之ら4人の選者が天皇の命令で編纂した最初の勅撰和歌集です。
この古今和歌集の解釈を中心に歌学や関連分野の諸学説を、講義や注釈書、切紙と言われる秘伝を記した紙などによって師から弟子へと他人には漏らさないことを誓って授受したのが「古今伝授」です。
平安時代後期に始まったとされますが、
後に、文明3年(1471年)篠脇城主・東常縁が「古今伝授の祖」と云われ、東常縁から宗祇に伝わり、連歌は完成した。
房家は、
古今和歌集の講釈と秘説、連歌の様式で足摺七不思議を巡った。
足摺七不思議、天狗の鼻の物語にある「二面一足」
連歌の起こりは、「2句一連」の短歌があり、それが次々と連なっていく長連歌に発展していった。
和歌→連歌。後に、俳諧 となります。連歌も俳諧も元は和歌の流れです。
和歌の上句(5・7・5)と下句(7・7)を交互に付け合い、およそ100句で一つの作品とする連歌は、〝中世文芸の華〟と言われる主要な文学です。
五七五に七七、その七七に五七五が付き、七七、五七五というふうに連鎖していく。
足摺七不思議には、
短連歌や和歌で常用されて前句と付句のあいだをつなげていく手法
「縁語」や「掛詞」が使われている。
短連歌から、十数句、数十句と続く長連歌。
歌仙連歌なら三十六句。花信風連歌なら二四句。世吉、四四句。
百韻連歌なら百句。
連歌に世界を顕現させる為、連想に和歌、漢詩、物名、隠名、
「賦物」技法をとりいれた。
「賦」とは、「分かち配る」という意味です。
「賦鳥魚連歌」の例では、
「明月記」(藤原定家さんによる本)
「花鳥の床に散りしくすすき哉」の前句に、
「こがらしながら枯るる秋草」と付けた。
よく見ると、魚と鳥の賦物がある。
ススキは、濁点をつけない平安では、スズキとも読めて鱸。
付句には、「こがらし」のなかにコガラという鳥。
こんな風に「いろはにほへとちりぬるを」を折り込み詠んでいく
賦冠字連歌。
他にも色々あります。
色を折り込み詠む、賦五色連歌。漢語の熟語を折り込み詠む畳字連歌。
等々。
連想を鍛えに鍛えあげた表現世界。
それが連歌。
足摺七不思議は、「縁語」や「掛詞」、「賦物」技法で、「見えている世界」と「見えていない世界」連歌の「膝送り」のように、多くの先達の物語から「自身の物語」を創作する。
房家さんが、寺から学んだのか。
房家さんが、足摺七不思議に付けたのか。
さ・だ・か・でない。(現在、足摺)