社会と自分のどうしても繋がりづらい関係性
「tiktokをダンスなどで戦略的に〜」
「俳優業を専門でやっていくならマネタイズが〜」
カフェで細イケメン黒タートルネックがブランド物片手に流暢に吐き出す言葉たち。
その間の僕の心はというと、
「ああ!駄目だわ!無理すぎる!劣等感!気持ち悪すぎる!心がキツい!」
でした。
いや、別に良いのよ。ブランド物も、黒タートルネックも(なんで起業してますよ系ビジネスマンチックな人ってみんな黒タートルネックなんでしょうね)、細イケメンでセンター分けなのも。
問題は、資本主義社会、商業システム等にさも当たり前のように馴染んでしまえている事だ。僕にとっては究極の劣等感である。ブランド物センター分け細イケメン黒タートルネックに対する嫌悪感は明確にそこにある。
恥ずかしげもなく馴染めてしまう事。
思えば。音楽を好きになったのもそんなことからだった気がする。
組織や社会に馴染めない事が、自分を一人にする行為(漫画や音楽、ゲームなど)に足を向ける理由だった。例え馴染めていてもそこに常に疎外感を感じていて、それを宥め忘れさせる為に音楽等があったような。僕はそこで、小さく優しく響く快感や、物語の解像度をさらに高める知識欲や、感覚が捉える血の湧くような熱量を学んだ。
話は変わるが先日、初めてソロキャンプをした。
冬の時期はソロキャンプ慣れしている人がほとんどらしく、みなテントサイトの外側をぐるりと囲む川を向くようにテントを配置し、キャンプ場に背中を向けていた。
「この人たち、多分僕と似ている、!(嬉)」
と思うと同時に、この空間を包む重くどんよりとした負の空気感を感知し、途端に僕は僕のままでいればいいと宥められた気がした。
雲の多い日だったけれど、風に露わになる月の光の穏やかさや、揺れる炎の情熱的な匂い、岩に当たり跳ね返る川水の豪胆な音は、いつかの押入れの隅や、屋根裏の端で聴いた音楽のようだった。
まあ逆なんやけどな。笑
以上最近思ってる事でした。
2024.03.17