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「凄い」は喜ぶな。疑え。


人から頂く「凄い」は
ただの褒め言葉であって結果ではない。

『凄いことをする』ということは
『結果を出した』ということではない。

『凄いことをする』ということは
目標達成の過程かもしれないけど
それはただの過程であって達成ではない。

「凄い」と言われる嬉しさはあっても
それはなぜ嬉しいのか
それは今の自分にとって本当に嬉しい言葉なのか

そういうことまで分解して考えたら
やはり「凄い」はただの褒め言葉であって
結果ではない。

「凄い」の基準は人それぞれ違うのだから
誰かの基準で頂いた「凄い」に信憑性など無い。

例えばそれがプロスポーツ選手でも
大企業の経営者でも
その上を目指す僕にとっては彼らの評価基準など
少しの参考にもならない。

「凄い」と言われても
彼らの評価基準で測られるのが嫌だ。

彼らの評価基準を疑わなくなったら
僕は自分の勘の鈍さに失望する。

世の中の革命や発見はいつだって
満場一致に疑問を持つところから始まった。

成功者の「凄い」を信用する人が多いのなら
それこそ疑うべき点だと思う。

「凄い」に悪気はないだろうから
むしろ敬意はあるのだろうから
それはありがたく受け取って
引いて見つめ直して疑問を持つ。

「凄い」で溜まったぬるま湯に浸からずに
黙って結果だけ出す方が『凄い』と思う。

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